境界亭日乗「読書・言葉備忘録」
2007(平成19)年1月〜


<7月30日(月)>
●ボヨ〜ンについて● この辺が書かれた本や演奏も多い。しばらくは記憶を頼りにいろいろ書いてみましょう。
三味線では
 一の糸を上駒からはずして直接棹に触れるようにしてあって、一の糸がサワリの山と断続的に接触して、ポジションの音とともに一種のウナリが生まれて、躁音効果が得られる。(千葉優子「日本音楽がわかる本」より)
発声では 日本音楽では澄んだ声を単純で深みのない素人声として嫌う。サビのある渋い声、つまり躁音を、深味のある声として好む。世阿弥の「花鏡」に、老人の声には若い人の「生声」(艶っぽい声)がなくなって、「残声」(サビのある枯淡な声)が出る…。(千葉優子「日本音樂がわかる本」より)
ハワイでは ウクレレではなくギターで弦を緩くして弾くのを「スラックキー奏法」と言ったと記憶する。くつろいだゆったりした気が漂う音色で、昔、その代表的なギタリストのアルバムを何枚か聴いた覚えがある。え〜と、そう、講談社勤務の旦那さんを持つかかぁの友人が家に来た時に「お宅の旦那はこんな本が好きでしょ」とドサッといろんな本を持ってきて、そん中の一冊に日本の青年(ミュージシャン)がアメリカポップスのルーツを探りつつ南部を彷徨ってカントリーやブルースギターの老奏者に次々と出会って、最後の章でハワイにたどり着く内容だった。その本から代表的なスラッキーなギタリストのアルバムを聴いたんだ。これも躁音のひとつなんだなぁ。あたしは読み終わった本を捨てるタチで、そこから先がもう思い出せない。
歌謡曲では 都はるみさんの「さよなら海峡」の「さようなら」の「よう」のところに「ゴォーッ」というようなすごい雑音みたいな音が入っています。これがなんともわさびのきいた、いちばんいいところらしいんですが、そういう声のなかの濁りをうまく音楽的に利用している。演歌の発声法にとっては、とっても重要な要素だと思います。(小泉文夫「歌謡曲の構造」より)
日本の揺らし 「愛のメモリー」の♪染めてゆくううううく〜と声をふるわせるところの「ウーウーウー」。実はこのテクニックは新内のテクニックなんですよね。あるいは清元でも使います。昔から三つ揺りとか、七つ揺りとかの、どういうふうに声を揺り動かすかなんていうことは、日本の旋律では非常に大切な部分です。西洋音楽ではヴィヴラートとして一種類しかないんです。日本では平安時代のお坊さんが、盛んに歌いました“声明”の楽譜を見ましても、どこで三回揺らすとか、いちいち細かく指示してある。(小泉文夫「歌謡曲の構造」より)
森進一の場合 團伊玖磨:森進一の「襟裳岬」のいちばん高いところは加線一本のAフラットで、これは素人では出ません。でもあの人の新内風の発声は下のほうに共鳴音が多くある関係で、低く聴こえるのです。
小泉文夫:義太夫もまさに同じです。(小泉文夫、團伊玖磨「日本音楽の再発見」より)

三味線の音は淫声 
三味線音楽もはっきりした旋律を持っているにもかかわらず、一音一音を崩し、流し、にじり、次の音との関係の中に切れ目なく溶け込ませることを美意識にしている。三味線からサワリという躁音をとったら三味線ではなくなるくらい本質的なものだが、なぜにこれが三味線の生命になったか、なぜロックとしての機能に関わったか、という問題は、同時代の琵琶や謡曲や語りものとの関係を考えることなしには分らない。(田中優子「江戸はネットワーク」より)

<7月28日(土)>

新たな人間国宝に宮薗千碌さんら7名が認定
 その中に狂言の野村万作さんも認定で、萬斎さんの父。ここで紹介は27日の朝日新聞「古典」欄で紹介の「究極の浄瑠璃、宮薗節」の二代目宮薗千碌(せんろく)さん。文章が珍しくその音楽の詳細を書いているんで、かいつまんで転写。…宮薗節は18世紀に成立。上方から江戸に流れて受け継がれたきた古典。浄瑠璃通の永井荷風は「諸流の中で最もしめやか」。伊東深水は「江戸前のさっぱりしたところはなくて、じとーっとした感じ。とにかく曲調が寂しげ」。二代目は「宮薗節の魅力は二つ。ひとつはとらえにくい旋律。うねるように波打つ。平板ではなく、音の高低差が激しい。不規則な半音階的進行をするので音がとりにくい。芝居がかって心情を訴える部分も多く、強弱な工夫が求められる。もう一つは三味線の音。やや太めの中棹を使い、水牛製コマを胴の中央よりにかける。こうすると雑音を含む
ボヨ〜ン

という音が生まれる。バチで胴と棹の付け根あたりをなでるように弾く難しい奏法。
※千碌らによる宮薗節は12枚組CD「古典の今」(15750円、日本伝統文化振興財団発売)で聴けるとあった。


<7月27日(金)>
野村萬斎「萬斎でござる」
 野村萬斎の本はジュンク堂に行くと何冊も並んでいる。それを1冊買ったか図書館で借りて読んだかしたが、この朝日文庫はブックオフで買った。幾つかを気になった個所を紹介。
狂言の発声: …私の家では、子どもにせりふの稽古をさせるとき、「二字目をはる」といって、二字目を強調した抑揚のつけ方で教えます。
披(ひら)く: …一定の格式のある曲を初演することを、「披く」といういいます。「三番叟」(さんばそう)を披くということは、身体を完全にコントロールできるようになるまで訓練するということです。私は中学時代にはじまった声変わりがあって、「三番叟」を先で、二十歳で「那須與市語」(なすのよいちのかたり)を披きました。これは語り手という四役を、ひとりで語り、演じ分けるという、声のコントロールを見せる曲、語り芸の集大成ともいえるものです。これを披いて「声ができあがった」という自覚を持ちました。発声の技術を駆使してみせる曲をやることによって、声の存在感を身につけ、声の操作に自信が持てたのです。
芸とは別の低次元のノリ: …常連さんと近い距離で演じていると、芸とは別の、役者のくせのようなものがよろこばれてしまう。低次元のノリができてしまうのです。ファンクラブの集いのようになって…。「野村萬斎の芸を見よう」となるべきものが。「萬斎を見よう」になってしまう。「見る」のではなく、芸を「観る」会にステップアップできたらと考えています。
キリがないので以下略: 
空気がすぅーと動くような芸の力。狂言でいうところの「序破急」(じょはきゅう)の理念。型をつくるという前提の作業が、実はいちばん重要だと思います。…などなど。
 

<7月23日(月)>
井伏鱒二「川釣り」「(岩波文庫)
 初めて井伏鱒二を読んだが、これまたユニークな文体ですね。衒いがないというかナチュラルでありながら軽妙だが深く、洒脱というより作意を嫌ったとでも言うか…。井伏は釣りの先生、垢石翁のこんな言葉を紹介している。「おい、井伏や、釣りは文学と同じだ。教わりたてはよく釣れるが、自分で工夫をこらして行くにつれて、だんだん釣れないようになる。それを押しきって、まだ工夫をこらして行くと、だんだん釣れるようになる。それまでに、十年かかる。先ず、山川草木にとけこまなくっちゃいけねぇ」。別の章で再び垢石翁の説法が出てくる。「十年目ころには自分のその十年間の経験で、いま俺の教えた通りの方法で釣りたくなるように逆戻りする。つまり初めに習った原則に帰って来て、結局は自分でその原則を発見したほどの自信が生まれて来る。譬えていえば、それは文章道の修行と同じことだ。文章道でもいろいろ工夫してみるだろうが、結局は松尾芭蕉が立派だというところに帰って来る」。山川草木にとけこんで作意を嫌う…と言えばまさに松尾芭蕉だ。。こんな話を書く井伏の文もまた作意がないから、一見とりとめもない。とらえどころがない。読み終えて池袋から新大久保にウォーキング中の明治通りの古本屋で、筑摩書房の現代文学大系「井伏鱒二集」を100円で買った。解説の河上徹太郎が安岡章太郎の文を紹介していた。「私は井伏鱒二の文章を読んだあとでは、しばらくは自分の頭はすっかり“井伏化”されている。(中略) でも井伏的とはどういうことかと訊かれても、私にはハッキリしたことがこたへられない…」。 あたしなんかは端から海のものとも山のものともわからぬ新人歌手や概念定まらぬ新曲を強引に強引に概念付ける文章を書くことで生業ってきたから、真逆の井伏鱒二の文章(小説)に妙に惹かれますね。100円の「井伏鱒二集」をしっかり読んでみようかと思う。いや、ぷらりと釣りの旅に出るほうがもっと大事かなぁ。

<7月18日(水)>
伊藤整「変容」(岩波文庫)
 老年期に入ろうとする主人公たちの性の快楽…。ふふふっ、あたしのこと、そんな野暮な視点で「備忘録」を書くわけがない。学生時分に翻訳小説から入ったあたしにとっての伊藤整は、ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ」やD・H・ローレンス「チャタレー夫人の恋人」の翻訳家。その伊藤整が亡くなった歳にあたしは彼の小説を初めて読んだん。ちなみに彼の墓地は小平霊園で、あたしが入る予定の墓地だ。天候不順で彼岸の墓参りが延期で今日辺りに行こうかと思っているんだが…。さて、なかなか本題に入らぬが、あたしは男と女、人と人がくっついたり別れたり、泣いたり怒鳴ったり、説教したりのフィクションに虫唾が走るタチで、子供時分から今に至るもホームドラマ、青春ドラマ、恋愛ドラマの類は観たことがない。○八先生演じる某の顔がテレビに映ると、眼を消毒したくなってくるほどだ。その種がテーマになるだろう小説の類も読む気がしない。その辺はよく訓練されたわがアンテナがピピッと反応して、手にしていい小説を間違いなく選んでくれる。さて伊藤整だよ。まず文章がいい。ハードボイルドに通じるショートセンテンス。文庫本で2行を超えずに句点がある。読点(、)の歯切れ良さ。、ちなみに解説を書いている中村真一郎の文章になるといきなり6行ぼど句点なしで、読みにくいこと。ぐじゅぐじゅだな。中村真一郎の老年の性をテーマにした「美神の戯れ」も読んだが、んまぁ、性へのぐちゃぐちゃの執着で、これは本人も認める?ポルノグラファィーで、その域を出ていない小説でいいように思うんだが。彼は「ユリシーズ」に匹敵する20世紀小説プルースト「失われた時を求めて」の翻訳もしていて、それも若い時分に3巻ほどまで読んだが、ある意では対極する資質だね。そうだ、丹羽文雄「菩提樹」も読んだが、性への執着と貪欲さに辟易して途中で放り出した。ゴミ箱に投げた本をかかぁを見っけて「ははっ、そいつは叔母ちゃんをおっかけ回していた男のひとりよ」と言ったんで腰をぬかさんばかりに驚いたもんだった。なんで死んだ作家のもんばかり読んでいるのかと言うと、まぁ、今の作家よりいいかなぁと思って読むワケで、それでも裏切られることが多いん。本題に戻りたいが、あたしは作家でも評論家でもないし、この一冊であれこれ言えるわけではないが、でも鍵はこの「果敢で奔放にして執着しない」文体=「性」に落ち着かせるのが意気、粋なんじゃないかと思うんですがねぇ。えぇ、性は若くても歳をとってもがさつな貪欲、執着は野暮ってことですよ。ご同輩いかがなもんでしょうか…。

<7月16日(月)>
半藤一利「日本のいちばん長い日」
 「永井荷風の昭和」と「荷風さんの戦後」を読んで“お気に入り”著者になった半藤(はんどう)一利(元「文藝春秋」編集長)名からスッと手が伸びた文庫本。昭和40年に大宅荘一編で出版されたものの、平成7年に「決定版」として再刊行の際に半藤一利名義になった経緯もほほえましく、平成18年に文庫化。ノンフィクションの資料物だろうから終戦の8月15日まで読み切ればいいや…思っていたが、読み出したら止まらず2日で読了。まずはプロローグ。昭和20年7月26日のポツダム宣言。8月6日の広島原爆。8月8日ソ連参戦。8月9日長崎原爆とポツダム宣言受諾をめぐる御前会議。このノンフィクションは14日正午の最後の御前会議から15日正午の終戦詔書(しょうしょ)の玉音放送まで各1時間毎を章としたドキュメント。玉音放送の録音、近衛師団森師団長殺害とニセ師団長命による師団の蹶起・宮城占拠。録音盤の探索、阿南陸相の自刃(じじん)、横浜警備隊長佐々木大尉による「国民神風隊」の閣僚襲撃。宮城から追放された畑中少佐の放送局占拠。そしてついにラジオが始まった。「ただいまより重大なる放送があります。全国の聴取者のみなさまご起立願います」。下村総裁「天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、畏くもおんみずから大詔を宣らせ給うことになりました。これより謹みて玉音をお送り申します」。「君が代」のレコードが流れて天皇の声が聞こえてきた。「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ・・・」。 
※この本は東宝で映画化されたそうだが、あたしは観ていない。「ウィキペディア」によると…岡本喜八監督は逮捕を覚悟の上で皇居二重橋でゲリラ的ロケを敢行したとあった。「映画好きではないあたし」が好きな岡本喜八監督で、先日もモノクロ「独立愚連隊」などのレンタルDVDを見たばかり。最近テレビ放映された奥様の介護から監督が亡くなるまでのドキュメンタリ―にも感動した。もう一度「映画好きではないあたし」ですが、レンタルビデオがあったら見たい映画です。
※日本人として読むべき貴重な本を遅まきながら読んだって感じ。

<7月ちょぼちょぼと書いてみましょ>
田中優子「芸者と遊び」、陳奮館主人「江戸の芸人」
 江戸から明治・大正・昭和初期もの読書をしていると「芸者」は不可欠な存在。あたしの母は江戸千家と古流という渋い流派(江戸時代は最も人気の流派だった)の師匠をしていて、浅草の芸者衆に教えていたこともあって子供時分から芸者の存在は身近だった。今は何故か演歌仕事をしていて、これにも芸者知識は欠かせない。ステージや劇場公演の芸者姿は華だし、江戸音曲もまた芸者によるところ大。芸者には音楽面から所作まで演歌のルーツ的要素が多分にある。ってことで改めて「芸者を勉強」。 さて、田中優子「芸者と遊び」から芸者の歴史要約…。阿国のかぶき踊り〜女歌舞伎〜若衆(美少年)歌舞伎〜野郎歌舞伎(1653)。女歌舞伎から芸者の流れは〜芸能民・踊子〜町芸者〜深川芸者(羽織芸者)〜客とは寝ない吉原芸者〜商人相手の柳橋芸者〜薩長武士や田舎の政治家相手の新橋芸者。赤坂芸者は軍人相手。金次第で寝るのを不見転(みずてん)芸者、安芸者、床芸者。大金を投じて水揚げした旦那も座敷に上がった馴染みも、芸者にやきもちをやかず、痩せ我慢するのが粋、意気…。芸者に使った金が無駄金と思うようでは野暮になると…。で次に陳奮館主人著「江戸の芸者」を読んでみると、大好きな田中先生の著作が色あせるほど、歯が立たぬ鋭い考察・分析が展開されている。そりゃそうだ、陳奮館主人は実際に芸者あそびなどさんざやってきただろうご仁。田中先生著書には膨大な参考資料が列挙されているが、昭和23年刊行で、平成元年に中公文庫刊となったこの書のことには触れていない。きっとこの書の存在を知ったら、その程度の知識・勉強では書けなかったのではないかと思われる。さて、同書からは芸者の「芸」について勉強してみよう…。若衆歌舞伎の子供踊りから女踊子。江戸前半の上方の影響濃い元禄文化から江戸後半になると町人文化のなかに三味線音楽が普及して浄瑠璃、豊後節、江戸歌舞伎の清元、河東節、常磐津、長唄、宮本節、新内節と次々に発展。芸者が踊りとこれら三味線音楽を継承・発展させた。また着物や髪型も芸者がファッションリーダー的存在だった時期もある。
●ちなみに芸者出身歌手:日本橋葭町の芸者だったのが小唄勝太郎、藤本二三吉。赤坂芸者だったのが赤坂小梅。浅草出身は市丸、美ち奴、浅草〆香。神楽坂芸者から神楽坂はん子、能登で芸者をしていた榎本美佐江、江戸端唄の名手・日本橋きみ栄…など枚挙にきりがない。清元、長唄、小唄などの名取りがほどんどだった。

<6月28日(水)>
佐藤碧子「人間・菊池寛」と猪瀬直樹
 んまぁ、読みつつ次第に興醒め。わざわざ遠い図書館に行って借りてくるほどの本じゃなかったと落胆した。菊池寛の愛人なんだかそうじゃないのか、一方の若手編集者との恋のまどろっこさ。ぐだぐだとした自意識過剰に辟易して途中から読み飛ばした。「きょう都副知事就任」で今朝の新聞を賑わしている猪瀬直樹が解説を書いているのも興醒めのひとつ。愛人いなかの…「あわいの微妙な心もようが本書の最大の魅力」と解説してんだが、あたしはそのまどろっこいのに辟易だったんだ。猪瀬の執筆シーンが時たまテレビで紹介されると、立派なオフィスに必ずと言っていいほど女性秘書風の何人かが映り込んでいる。あれはわざとそう撮らせているのだろうか…。菊池寛にとっての佐藤碧子もそんな存在だったのだろう。佐藤碧子が菊池寛の下書きをしたように、猪瀬の彼女たちもきっとさまざまに活躍にしているに違いない。彼の「こころの王国〜菊池寛と文藝春秋の誕生」」(04年出版)は、2002年から「文学界」連載というが、彼は道路公団改革の審議会委員で多忙を極めていたんじゃなかったか。毎月、佐藤碧子の住まいを訪問して取材とかだが彼女らの活動なしにはできない仕事と推測される。解説で彼は「口きかん わが心の菊池寛」を書いた矢崎泰久に噛みついて「一から十まで、ぜ〜んぶ、デタラメ」と佐藤碧子が大憤概していることを紹介し、菊池寛と佐藤碧子の美しい物語に対する冒涜の書だと言っている。その裏にどうも猪瀬直樹と秘書風の女性軍の関係も見え隠れする…。このへんも興醒めの一要因。ちなみに猪瀬の同書は西田敏行主演で映画撮影中で今年末公開とか。あたしの佐藤碧子、菊池寛関連読書はこれにて幕。

<6月27日(水)>
遠ざかる
 「さかる」は「離る」。ある地点からはなれる。動詞ラ五[四]。

<6月25日(月)>
佐藤碧子「瀧の音〜懐旧の川端康成」
 口絵写真の左が昭和6年の菊池寛。著者は「文芸春秋」を設立した頃の菊池寛の秘書(あるいはそれ以上の関係)で、右上の写真は昭和11年の川端康成と著者。書き出しは大正12年9月1日の関東大地震。地震前日に庭の池から這い出た白い蛇との対峙、地震当日は家の前を吉原遊郭で働く男、お女郎が全裸で銭湯から逃げ出して、彼らに母が浴衣を放り投げるという小学6年生の著者の懐旧からはじまる。さて、ははっ、面倒だからこの先は書かぬ…。同書を読むきっかけは「話の特集」の矢崎泰久の著「口きかん〜わが心の菊池寛」読んで。そこにこうあった。…母の姉は菊池寛の愛人だった時期があり、遅筆の川端康成のゴーストライターだった時期もある。川端康成はその上でノーベル賞をもらったが、それを告白したために出版界から黙殺された。その辺の事情は同書と「人間・菊池寛」に詳しく書かれているとあった。実際に読んでみれば愛人だったとハッキリ書かれていなかったし(毎夜送ってもらったくらいの記述)、ゴーストライターという点でも「女であること」で助手として働いたと簡単に書かれている程度だった。同書最後は川端康成のガス自殺の報を知るところで最後の文章は…会う度に暗い予兆が残った。自殺とは思いたくなかった。

<6月25日(月)>
「深川の古池に飛びこんだ蛙」と「玉の井のお雪」
 小門勝二「永井荷風の生涯」(写真)を読んでいたら、あぁ、面白ぇ〜という箇所に出会った。長文の趣旨はこうである。…「墨東綺譚」のお雪ほど素敵な女はいないが、あの頃の玉の井は座ぶとん一枚五分天国の情緒のへったくれもあったものではなく、潰し島田の髪を結う女などいなかったし、いじらしい古風な風情の女もいなかった。荷風の描くお雪は、28年前のフランスのロザリネットで、その前のアメリカの娼婦で恋人だったイデスのブロンズ。荷風理想の女像にほかならなぬというのである。さて、先日読んだ「悪党芭蕉」の「古池や蛙飛び込む水の音」の解釈は…深川の芭蕉の前の池はゴミや死骸が沈んでいるかわからぬドブ池、混沌の沼で、蛙も音をたてて飛び込んだりしない。この句は静謐なサビ風情の写生ではなく観念、フィクション、虚構、オリジナルの句だと書いている。共に「鵜呑み」にすんな、裏を読めってことですね。裏を読むために嵐山光三郎は天和2年の深川の大火や地理を調べ、清済庭園でカエル図鑑をもって一日を過ごしている。一方、荷風さんのお雪について安岡章太郎は「私の墨東綺譚」でこう書いている。…当時7、8百人もいたという玉の井の娼婦の中に、お雪に完全に当て嵌まる女は一人もいなかったはずだ。荷風本のなかには(小門勝二の同書のこと)、渡米中に知り合った娼婦イデスこそ、お雪のモデルとあると断言しているものもあるが、これにも私は同調し難い、とあった。ってことで本棚にある荷風全集や多数の荷風本をひもときましょうか。これが読書の楽しみ。あたしゃ、ひとり遊びがでぇ〜好きだ。

<6月23日(土)>
嵐山光三郎「悪党芭蕉」
 明治・大正の「文豪」たちを性癖など俗な側面を捉えてバッサバッサと小気味よく切ってきた(「文人悪食」「文人暴食」「追悼の達人」「おとこくらべ」「ざぶん〜文士放湯記」など)著者が「俳聖」松尾芭蕉をどう切るか…。まずはタイトル「悪党芭蕉」から著者得意の展開を期待したが、芭蕉に入れ込み過ぎた結果だろう、切れ味の醍醐味がいささか鈍い。書き出しの「はじめに スキャンダル」で芥川龍之介の「芭蕉は大山師だ」。正岡子規の「句の過半は悪句駄句」の批判を紹介するあたりは著者の真骨頂発揮だが、次章「古池や…」とはなにか〜から次第に刃の質が変わってくる。この句が写生より観念、事実より虚構、作為を嫌って…などの分析はいいのだが、次第に句の解説の迷宮に嵌って(本書の8割ほどが句の解釈)著者得意の人間分析から遠ざかり、人間・芭蕉がイキイキと動いてこない。芭蕉の衆道を繰り返して語るも、同性愛者・芭蕉の性癖の肉薄も充分ではない。藤堂藩の嗣子・藤原良忠の寵愛を得て最初は女役、その後の芭蕉の旅はいつも男連れと指摘するが、その辺の性癖から人物がもっと見えても良かったのではないか。弟子は犯罪者が多く、その派閥闘争の凄さの上に君臨した芭蕉。狂歌の太田南畝(蜀山人)より100年も前のこと。生業を疎かに俳句に入れあげた俳諧師はアウトロー的存在にならざるを得なかったような気もするが、彼らの社会的な存在、俳諧の時代背景はどうだったのだろうか…。著者の俳句好き、芭蕉好きが句の解釈迷宮に嵌りすぎて、視野が自在に飛んでいない。「この一冊を書き終えて、正直いってへとへとに疲れた」著者だが、「芭蕉紀行」「芭蕉の誘惑」「悪党芭蕉」を経て、4冊目の芭蕉ものが早くも読みたくなってきた。「うひひっひ」と笑いながら明治・大正の文豪をバッサバッサと切った境地で芭蕉を料理したら(第一章で、老人アイドルと化した芭蕉を、俗人と同じレベルで、と考えおなそうとした…と記しているが、その視点に戻って書いたら)、さぞ楽しい本になりそうだが…。読売文学賞、泉鏡花文学賞のダブル受賞作。

<5月23日(水)>
瀬戸内寂聴「秘花」 これまでに「風姿花伝」解説書や世阿弥主人公の小説を何冊か読んできたから、瀬戸内寂聴の「これだけはどうしても書いておきたかった」の宣伝コピーに触手が動いた。世阿弥が人生を回顧する部分はすでに知ったことで特別な内容ではなく、衆道などのエロチックな記述にこの作家ならではと思った程度。肝心の世阿弥が「いかに老い死ぬか」のテーマだが、その最期を迎える72歳に31歳の佐渡の「女」が出現し、その息子が美男子だったりする終盤は通俗(小説)的でがっかりしちゃった。こんなんでいいんでしょうかねぇと思ったが、筆者85歳で無理もないかぁ…と思った。
見巧者 書き出し数頁に「見巧者」(みごうしゃ)が出てくる。辞書にこうある。…芝居などを見なれていて、見方のじょうずな・こと(さま)。そのような人をもいう。「―な人」「―たちも、児童(こども)しうも、あとで結了(まとま)るのをまちたまへや/当世書生気質(逍遥)」。これは歌舞伎の観客によく遣われる言葉で、歌手のステージに精通の観客は造語して「聴巧者(ききごうしゃ)」でもいいように思った。

<4月1日(日)>
中村真一郎「美神との戯れ」と小林信彦「東京少年」を読了して感想を書いたが、Vistaに切り替えしたらどこかに消えちゃった。面倒だから消えたまま。目下は矢崎泰久「口きかん」読書中。昔「話の特集」の編集長だった矢崎さんの父・矢崎寧之は百六歳で亡くなった物集高量(もずめたかかず)に嫁いた姉を頼って住み込み、次に菊池寛に請われて「文芸春秋」設立時に執事的に働きだしていて、そんな当時の菊池寛や物集高量を綴った内容。これは面白い…。タイトルの「口きかん」は無口な菊池寛が原稿依頼に黙っていると、相手が稿料をどんどん上がったそうな。あたしも見習って「口きかん」しようかなぁ。
川端康成のゴーストライター 上記「口きかん」を読んでいたら、こんな箇所があった。・…後年、遅筆だった川端康成は何人もの代作者をかかえていた。佐藤碧子や梶山季之は川端の新聞小説を二人でほとんど執筆している。佐藤の著書「人間・菊池寛」(新潮社)と「瀧の音」(東京白川書院)にはその経緯が明らかにされている。(略)…そうした作品も含めてノーベル賞を受賞したわけだから。いやはや。佐藤碧子はまた菊池寛の愛人だった時期もあって、彼の執筆の助っ人もしていたとさ。彼女は矢崎泰久の母の妹。(読もうと思ってジュンク堂を検索したが絶版のようで、新宿図書館を調べた。「滝野の音〜懐旧の川端康成」は中央と鶴巻図書館にあった。「人間・菊池寛」は西落合図書館にあった。いずれ…。
こつまなんきん こんな言葉も出てきた。意味を知りたかったら調べてみたら…。ふふふっです。

<3月25日(火)>
そうだ!本を読もう
 長期戦の仕事が終って久々にホッ。そうだ、本を読もう…と大久保図書館に行った。借りた本は逢坂剛「重蔵始末」、矢崎泰久「口きかん」(わが心の菊池寛)、山崎昌代「桂三木助」、吉川潮「浮かれ三亀松」、小林信彦「東京少年」、中村真一郎「美神との戯れ」、船村徹「私の履歴書」。

<2月23日(金)>
オーバーチュアとバース
最近のコンサート進行表をみるとこのカタカナ2語がよく出てくるんで調べてみた。オーバーチャア(overture)をネット検索すれば、検索連動型広告のことばかり。英語で引けば序曲、前置きと出てくるからコレだろう。オープニング演奏と解釈して良さそうだ。一方「バース」は森進一「おふくろさん」で一気に有名な言葉になった。これは「verse」で散文に対する韻文、詩。森進一問題がらみのサイトでは「バース(曲頭のセリフ)」と入っていたが、これでは「イントロ・ナレーション」だろう。実際は森進一の場合も他の歌手の場合もそうだが、セリフだけではなくメロディー付きで唄われるケースがほとんどだろう。これが結構いい場合が多い。本編の作詞・作曲家がこれを作れば問題は起こらないのだろうが…。ついでにスタジオで飛び交うコーダはCodaで終結部の意。

<2月16日(金)>
電子辞書を買った
 シャープのパピルス「PW- AT750」ってのを。100の辞書関連を収録。本棚からまずは40冊ほどを処分した。もっと捨てられそうだ。

<2月9日(金)>
安上がり読書法
 あたしは貧乏だから「安い読書」がモットー。それを内緒で公開しよう。「ブックオフ」に行くと日本、世界ともに文学全集が1冊100円位で売っている。これを10冊(千円分)も買うと重くて持ち帰れないほど。ってワケで今は…愛欲の奥に救われ難き人間の生命を見つめる丹羽(文雄)文学…を読み出した。100円でっせぇ。この作家はあたしと肌が合わねぇ、と思ったら申し訳ないが捨てんのよ。あたしは若い時分に世界文学全集や現代世界文学全集から入ってんで、日本の作家は未読が多いんです。それにしても、愛欲の奥だって…、あなた、その世界、知っていますか?
※丹羽文雄「菩提樹」
 なる長編を20日までに8割ほど読んでアホらしく・アホらしくなって止めた。これもゴミ箱に捨てた。若い時分に、こういう作家の小説を読まずに、ドストエフスキーやヘンリー・ミラー全集の翻訳小説を読んでいてホントに良かったと思った。ゴミ箱の丹羽文雄を見っけたかかぁが、こう言った。「昔、オバちゃんをおっかけ回していた男のひとりだよ」 「ひえぇ〜」。

<2月3日(土)>
船橋聖一「花の生涯」
 やっと読了。んまぁ、面白くなかった。井伊直弼物語。途中で投げ出すのもイヤだからちょびちょび読んで終った。作家にも興味湧かず本の山からお引取りねがうことにした。

<1月22日(月)>
島村抱月邸 
抱月が松井須磨子と深間んなって、余丁町の坪内逍遥先生は二人を追放し、その後、文芸協会演劇研究所も解散された。大正4年に抱月と須磨子が神楽坂近く?に「芸術倶楽部」を設立。だがその後も中山晋平は書生時代に引き続いて抱月宅にいた。その抱月んちは戸山が原と書かれている本が多く、実際にどこだったかと調べてみたん。そしたら諏訪神社ちかく明治通りの池袋方向に向って右側ってことがわかった。オリンピックの前辺り、100円ショップ辺り…。フ〜ン、こんなに近くに中山晋平も抱月もいたんだぁ。須磨子さんはどこに住んでいたんだぁ。もっとちゃんとした本を探してみましょ。
伊豆大島の歌
 「中山晋平物語」を読んでいたら『波浮の港』の逸話が載っていた。うむ、そうだ。吉川潮著「西條八十物語」をざっと見れば『大島おけさ』の逸話が載っていた。あらよってんで有田芳生「歌屋 都はるみ」をパラッと見れば『アンコ椿は恋の花』逸話がしっかり書き込まれていた。閑ん時に伊豆大島の歌の逸話集でも作ってみようかと思っているが…。都さんは2月1日に新曲インタビュー。島倉千代子さんには『東京の人さようなら』があって、何度も新曲インタビューはしているが、この歌についてはなかなか訊く余裕がない。

<1月20日(土)>
ビートたけし「佐竹君からの手紙」
 昨年夏に島で一緒に遊んだ某嬢と昨日某所で会ったら「私、やっぱり大島で合宿免許を取るわぁ」と言った。「じゃ、おめぇにあげる本がある」と約束した。「佐竹君からの手紙」はたけし軍団の佐竹チョイナ2が師匠の命令で、伊豆大島南部の自動車免許合宿所で奮闘する物語。そこに集う人々も島の人も破天荒の爆笑小説。調布からの飛行機の低空飛行を、ビートたけしは「立ちションしてるオヤジのチンポまで見える」と書いていた。途中まで再読したが「もういいやぁ」と放り出して某嬢にあげよっと。

<1月16日(火)>
4冊図書館で …借りた。五木さんの国立劇場製作発表から戻って図書館へ。戸山ヶ原がらみで山本茂美著「カチューシャ可愛や〜中山晋平物語」を借りた。坂本冬美取材前に読んでおこうと川端康成「雪国」も借りた。そしたら「志ん朝の高座」「志ん生を撮った!」が眼に入ったんで、それも借りた。そう、五木さんも記者会見で『カチューシャの唄』を語り、「喉芸あれこれ」で書いたばかりの故・小泉文夫さんの話もしていた。偶然ですがね。

<1月15日(月)>
船橋聖一「花の生涯」 ひょんなことで読み出した。井伊直弼の物語だが長いってなんの。なかなか読み終わらない。読み甲斐のないエンタテインメントだが、途中で投げ出すのもシャクなんで読み続けている。5日に記した音締めが出てきた。※「久し振りに、いい音締(ねじ)めが聞きたいな」=三味線などの糸を巻き締めて、調子を整えることをいうが、ここではそうして整えられた音の冴えをいう。(同書の注解)。「花の生涯」には池波正太郎の小説によく出てくる男が夢中になる床上手のいい女「村山たか女」が出てくる。※山本茂実著「カチューシャ可愛や〜山中晋平物語」が近所の大久保図書館にある。八代目可楽についての本も、川端康成「雪国」もザッと眼を通したいのだが…。

<1月12日(金)>
二葉亭四迷と三遊亭円朝 …(坪内)逍遥は、「小説真髄」では「新俗文」と称する、そうとう程度言文一致に近い文章を有望なものとして挙げているが、まだ明確に言文一致文へ踏みきるのをちゅうちょしていた。が、長谷川(二葉亭四迷)は、勇敢にそれを志向しているようだった。そこで、逍遥は、(三遊亭)円朝のはなしの速記本を参考にすることをすすめた。「虚無党形気」の文体が、円朝体だったらしいのは、そういうところから来ているのである…。これは稲垣達郎による文学全集の逍遥と四迷の解説文。「虚無党形気」は四迷の処女小説「浮雲」前のツルゲーネフ」の「父と子」の部分訳で、それは明治19年の頃。ってワケで、あたしが下町言葉を思い出すのに落語の速記本によったのも間違いない術だったような気もしてきた。三遊亭円朝の速記本は「明治の文学」第3巻が手許にある。最初の言文一致から、120年が経っているに過ぎないんですね。

<1月5日(金)>
宮尾登美子「菊亭八百善の人々」 正月読書用に数冊入手。そのなかの一冊が古本屋で背表紙を見てスッと手が伸びたこれ。江戸時代の蜀山人(大田南畝)がらみを読んでいるとよく登場する老舗日本料理店(四代目の頃)八百善の物語。荷風さんも大正3年に八重次との再婚の披露宴をここ(八代目の頃)でやっている。目下3/4ほど読み進んで佳境へ。蜀山人はこんな狂歌を詠んでいる。「詩仏・書は(亀田)鵬斉に狂歌は俺/芸者お勝に料理は八百屋善」。夜の長風呂で読了。以下、同書でわからなかったら言葉
とつおいつ 「とつおいつ考えながら日を過ごす」。とつおいつ手に取ったり下に置いたりするという意味。ああしたりこうしたりして。あれこれと手立てを尽くして。 用例:集成本狂言・節分「最前からとつおいつ口説けども承引めされぬ」 2.ああすれば良いかこうすれば良いか、決心が付かない様子。あれやこれやと。(くろこ式慣用句辞典より)
しんじょ 「八百善が得意とした江戸料理は、しんじょと練りものです」。しんじょ:白身魚や鶏肉、えびなどのすり身に、卵白、山いも、くずなどのつなぎや調味料を加えて形を作り、蒸したりゆでたりして火を通した練りものです。材料や形によって、えびしんじょ花びらしんじょなどと呼ばれ、おもにすまし汁の椀だねに使われます。(料理レシピ基本用語)
踏み込み 建築用語だがはっきりしない。玄関三和土(たたき)と解説しているのもあれば、玄関から部屋に至る1畳ほどの間を言っている場合がある。追って調べ直しましょう。
飄逸な味 飄逸:ひょういつ (名・形動)[文]ナリ世の中の事を気にせず、のんきな・こと(さま)。「何とも云へぬ―な表情/幇間(潤一郎)」
音締め(ねじめ) 三味線がどうにか膝の上に落ち着いたところで、早くバチを持って弾きたいところであるが、演奏のフォームとしてこの時期に身につけてしまいたいのが、左手での勘所の押さえ方である。指先の肉の部分と爪と両方で勘所を直角以上の鋭さで押さえるこの方法は「音締め」といわれ、バチ使いと並び音色の善しあしを決定する重要な技術である。(ようこそ「邦楽教育&長唄」へより)

<1月2日(火)>
佐藤春夫の境界 川本三郎「大正幻影」ん中の「廃墟のなかの幻覚」にこんな箇所があった。…佐藤春夫は決して人工は賛美しない。といって緑したたる自然を手放しに賞讃することもない。むしろ、家という人工物が時間の経過とともに美しく腐食し、廃屋(廃墟)となることで自然のなかに溶け込んでいく、その人工と自然の境界、あわいの空間に心ひかれていくのだ。それはそのまま空想と現実の境界、両義的空間でもある…。また佐藤春夫はズバリこうも書いているという。…廃屋を特徴づけるのは「植物の繁茂」である。
「境界亭」 あたしのハングル「境界亭」は伊豆大島ロッジがケイカイなる地名に建っているからで、ケイカイすなわち境界だが、今は年に数回利用で佐藤春夫よろしく人工と自然の境界、あわいの空間となり、植物の繁茂も進行中。「境界」はダブルミーニング、トリプルミーニングになってきた。



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