境界亭日乗「身過ぎ世過ぎ」
●2007(H19)年1月●
〜墨も濃くまづ元旦の日記かな(荷風)〜


<1月3日(水)>
リニューアル 年末に「境界亭日乗」を全削除し、「読書・言葉備忘録」 「喉芸あれこれ」 「散歩ふぉ〜かす」 「身過ぎ世過ぎ」と破れかぶれの増殖新体制。フフッ、続くかどうか…。

<1月4日(木)>

おニュー 机周りではデスクライト、ケータイ、ファックスが新しくなっている。ライトはボタンが壊れての買い替えで、今度はボタンがなくてタッチセンサー。ケータイは従来通り「au」も別メーカーで操作を一から覚えなきゃならぬ。ファックスは年末に買って幾つかの電話番号を登録したが、マニュアル膨大でいろんなことが出来そうだが未読のまま。ファックスがつながらないと、時々文句を言われる。

<1月5日(金)>
SB表紙
 先月号で表紙二リューアルするも、断ち切りが気に入らねぇってんで年末に枠付き2パターン追加で計3パターンの表紙デザインをDTPへ出しておいた。そしたら、あたしの知らぬところで、やはり最初のに落ち着いたそうな…。

<1月8日(成人の日)>
年賀状
 身過ぎ世過ぎの年頭行事は、机正面上部に五木さんとさゆりさんとこの年賀状を新しいのに貼り替えること。五木さんは今年3月で59歳で50代のフィニッシュ。さゆりさんは35周年の今年こそ大ヒットを…。昨年、演歌で10万枚を超えたのは氷川きよし、水森かおり、五木ひろしだけ。

<1月9日(火)>
地元で職質
 坊主にヒゲ、着てるの全部真っ黒。世をすねた怪しい風体。若い警官があたしを慌しく追いかけてきた。「刃物を持ってねぇかバッグの中を調べさせてください」

<1月10日(水)>
ゴールド免許
 免許取得して端からバイクと四駆乗り。常に減点持ちで、免許更新の度に鮫洲でみっちり再講習だったが、この3年間は一度も掴まらずの大奇跡。都庁更新所で初ゴールド免許を取得。有効期間5年。そこまで生きているか…。
新眼鏡 免許試験の「0.7」クリアが覚束ず、11月22日に右目を白内障手術。術後7週目も術後の塩梅が芳しくない。確か「デスクワークに不自由ない人工水晶体」をはめ込んでもらったはずだが、相変わらず従来眼鏡じゃないとモニターの字が読めない。新眼鏡処方箋を眼鏡屋で解読してもらえば、従来より右目が近視1度アップ、乱視2度アップ。左目が近視8度アップ、乱視1度アップとか。「1度ってなんでぇ」と訊けば「0.25が1度」と言った。まぁ、その眼鏡で免許テストをパスしたんだが、眼鏡屋がうれしい事を言った。「術後半年は視力が安定しませんから、合わなくなったら6ヶ月以内ならレンズを無料交換を致します」。眼鏡は45、000円。人工水晶体手術も確かそんくらいだった。

<1月14日(日)>
日本の歌謡曲は戸山ヶ原から産まれた
 「お前さん、戸山ヶ原だってさぁ」。NHKテレビ「アーカイブス」を観ていたかかぁがそう叫んだ。中山晋平クローズアップ番組で、『カチューシャの唄』がなかなか出来ずに戸山ヶ原を散歩したとか。作詞:島村抱月・相馬御風/作曲:中山晋平。『カチューシャの唄』 は、その大ヒットで蓄音機が一気に売れ、日本歌謡曲の第1号。ふふっ、ってことは、我が戸山ヶ原が歌謡曲誕生を産んだ地ってことになるじゃありませんか。坪内逍遥が荷風さんと同じ余丁町で、抱月も早稲田周辺に住んでいて中山晋平が書生をしていた。戸山ヶ原を散歩は充分にうなずける。この辺の本を漁ってみましょ。

<1月16日(火)>
明治記念館
 今年初取材。五木さんの国立劇場の製作記者発表会。オリコン演歌チャートに五木さん2曲がランクアップ中。献身11位、高瀬舟15位。

<1月17日(水)>
七回忌
 昨日のこと、取材先から戻るとポストに「七回忌法要」ご案内。何だ!と見れば哲学堂動物霊園。平成13年3月7日に逝った愛犬バーキーを骨にしてもらったが、お墓は彼女が大好きだった大島の庭にある。法要は大島桜が満開の頃に大島でしましょ。

<1月19日(金)>
五木さんから譲二さん
 五木さんのファン倶楽部新年会取材で再び明治記念館へ。終って新会社ジョージ・プロモーション代表の山本譲二さんをテイチクでインタビュー。あたしが初めて演歌ってぇのを見た(聴いた)最初が譲二さんの新宿コマだった。今は夏川りみ社長の三井健生が、ニューミュージック一辺倒だったあたしを呑み屋に誘い「演歌歌手のスピリットはお友達感覚でやっているバンド連中より熱いぜ、ロックしているぜぇ」みたいなことを語りだし、それで初めてコマ劇場に行ってみたんだ。んまぁ、そしたら客が食った弁当の匂いと熱気の充満で「なんじゃ、この世界は」とカルチャーショック。そいからポニーキャニオンのPRペーパー「マンスリー・プラネット」」の他に、演歌班予算で演歌新聞を作りだしたんだ。今はその演歌で見過ぎ世過ぎ。

<1月20日(土)>
不調
 サイトをまたリニューアル。どうもしっくり来ない。写真を紙焼きに出せば全部アンダーな仕上がり。文句を言ったら店の女の子のふてぶてしいことよ。紙焼き入稿はやめてCDR入稿に切り替えましょ。紙焼きはトリミング指定のみ。今日はいい事がまったくねぇ。フテネでございます。

<1月21日(日)>
宮崎県知事 
夜、宮崎県知事選の「そのまんま東」が他をぶっち切りで当選の報。日本の行政は既存・既概念をすべてぶっ壊さないともうダメで、その意で良かった・良かった。諦めきった行政に、あたしはアナーキーなんだ。さぁ、ぶっ壊せぇ〜。なに、県議員数を半分にするって。そりゃいいやぁ。それにならって国会議員も半分にしましょ。えっ、そんな事は言ってねぇって。やってよ、そんくらいのことを。※安倍内閣、39%に下落。もっと下がるね。

<1月23日(火)>
坂本冬美
 下町谷中で3/7「雪国」合同取材。0誌からの依頼で1頁。未読だった川端康成「雪国」を読んだ。硬質な声で凛と歌うのが得意な坂本冬美さんが、妻子ある男の雪国遊びを待つ駒子を艶歌としてどう唄うのか?やがて音と資料が届いて考え直した。合同取材で1頁はどうもねぇ。で半頁になった。今日は天気が良くパブイベント取材日和です。
合同取材 ってぇのは数度しか経験していないんだが、今回は端っこに座って同業の皆さんの取材っぷりを拝聴していたんだが、まぁ、ワイワイ・ケラケラと楽しそう。歌唱への突っ込んだ質問もなく、あたしには遊んでいるようにしか思えなかったし、40歳のベテラン・坂本冬美さんが、アイドル歌手に見えて来た。まぁ、カラオケ誌の使命としては、こんな新曲が出たよ…くらいの紹介でいいわけで、だからこそ、あんな感じでやれば、される方もする方も楽しくていいなぁと思った。それなのにあたしたらさっ、本人と楽曲と歌唱の芯を探ろうとすんですね。笑っちゃいられねぇ緊張感も帯び、しつっこいことよ。でもね、そんな取材を何度か重ねているとニヤッと笑ったりして、けっこう核心を話してくれるようになるんですね。でもあたしのインタビューは、きっと皆さんにイヤがられてんだろうなと思うと、なんだか愉快になって来た。あたし、そろそろ潮時かなぁ。そう、家に帰ってテレビを見たら「遠山の金さん」をやっていて、画面がシャキッと絞まっていてさ、松平健さんが男っぽい声で小気味よく桜吹雪の大見得を切っていて惚れ惚れするほどカッコ良かったんだ。そうしたら主題歌が流れてきたんだ。誰が唄ってんだろう。女性歌手かなと思ったほど高く細い歌声で、でもマツケンさんで、これまたビックリしちゃった。歌謡曲って、そうゆ〜んだよね。突っ込んでインタビューするもんじゃないんだよね。反省を含んでこう書いてみて、あぁ、そんなあたしのしつっこいインタビューや原稿に10年も付き合ってくださった五木さんやさゆりさんに感謝しなきゃ…と思った。

<1月24日(水)>
演歌記者・咆哮堂さんが咆えている
 ブログで仕事日記を公開の同氏が、秋川雅史『千の風になって』1位…についての日刊スポーツやlivedoorニュースの記事(1月16日)にツッこんでいた。テレビドラマ「演歌の女王」(1月20日)にも首をひねっていた。骨のある若い演歌記者もいるんだなぁとうれしくなってきた。一方、あたしのようなフリーライターが5000万円の訴訟をおこされる怖〜い時代でもあります。「オリコン 訴訟」で検索したら38万件ヒットした。
明日は森昌子さん の第2弾シングルのインタビュー。趣味とか好きな食べ物、好きな色、メイクやファッション、恋の話なんかも訊いて楽しいインタビューにするんだっ。

<1月25日(木)>
ストレート
 森昌子(親しさを込め呼び捨て)に好きな食べ物とか好きな色とかはやっぱり訊けなかったよぅ。『愛傷歌』などで聴かせた多彩な喉遣いを削除して、なぜにストイックなまでにストレートな歌唱で録り直したのか、そのあたりの狙いを情熱と信念をこめて語っていただいた。そして愛嬌の一箇所残した“ユレ”に大笑いしたりの、あくまでも<歌唱中心>で盛り上った小1時間インタビュー。そう、4月からのNHK朝ドラ「どんど晴れ」収録中で、ここでもヒロインの浅倉さんとかの話なんか一切訊きませ〜ん。訊くのは優しい母の声、酔って亭主に絡んだ時の声の違いなど。ハハッ、いろいろと再現してくれて、それは楽しかったです。早くも世代縦断を目指して(この辺が芯、核ですな)、いよいよ正念場です。

<1月26日(金)>
咆哮堂さんらしくねぇ〜や
 1月24日の日記に「長良グループ新春演歌まつりin横浜」を見た(取材)咆哮堂さんが「まさか横浜アリーナで演歌のコンサートを見られる日が来るとはなぁ」と驚いていたが、ははぁ、咆哮堂さんは今から4年ほど前には演歌記者じゃなかったんだぁ〜とバレちゃった。平成15年3月に五木さんが「55才ハッピーバースデーコンサート」をやっていますね。ちなみに1部の司会が堀内孝雄、中澤裕子。ゲストが「モーニング娘。」「ハロー!プロジェクト」、コロッケ、DA・PUMP、香西かおり、長山洋子、吉幾三他多数。そう、数字に強そうな咆哮堂さんは、リンクの各紙報が動員1万、2万とまちまちのとこも突っ込んで欲しかったなぁ。※今日は籠もって原稿書きです。

<1月29日(月)>
八代亜紀さん
 今日は2/21発売『鰻谷』のインタビュー。2月1日は都はるみさん『風雪夫婦花』インタビュー。2月2日が五木さんのN響(NHKホール)、そしてさゆりさん取材と慌しくなってきた。ええっ、その前にカメラをもって某所に飛べと…。その前にSB誌の山本譲二さん、森昌子さんの原稿を送稿す。★うわぁ〜、咆哮堂さんはやっぱり骨っぽいや。26日のあたしの指摘にブログでしっかり答えて下さった。最近は毎日更新とは参らぬゆえ、相当に忙しそうだが日々参考にさせていただき改めて感謝。

<1月31日(水)>
都はるみと五木ひろしと伊豆大島と石川さゆり
 30日夜中、いや朝4時半ころまでしたたかに酩酊しつつも1日取材の都はるみさんの文庫、有田芳生著「歌屋 都はるみ」を読んだ。こんな箇所があった。…松山まさるの芸名でコロムビアからデビューしたものの、なかなかヒットに恵まれなかった。その不遇の時代に、五木はよくはるみの自宅へ遊びに来た…。昭和59年、都はるみさんが「普通のおばさんになりたい」と引退した翌年に、中村一好氏(都さんのご主人)が石川さゆりさんのディレクターになって、さゆりさんを大人の歌手に脱皮させた。五木さんの「コロムビア全国歌謡コンクール」優勝(その前の優勝者が都さん)の話、さゆりさんの「波止場しぐれ」辺りのことを今までに何度も書かせてもらったが、都さんや一好さんへの取材は今までになかった。平成2年に都はるみさんが歌手復帰し、あたしは翌年に伊豆大島にロッジを建てた。そんなこともあって平成12年の都はるみさんの大島野外コンサートの取材陣に加わった。当日は「アンコ椿は恋の花」歌碑建立もあった。初インタビューは『命ゆきどまり』で、これは都さんと岡千秋さんとの対談仕上がりにした。で、2月1日はじっくりとあの「うなり」歌唱についてインタビューさせていただけそう。その日は都さんの取材を終えたら、さゆりさん取材へ走る。



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