境界亭日乗
●平成18年(2006)7月(文月)●
色町につづく空地や夏相撲(昭和13年・荷風)

過去の「境界亭日乗」は…

<7月1日(土)>
クリント・イーストウッドの渋面(じゅうめん) 立て続けにクリント・イーストウッドのビデオを3本観た。「ミリオンダラー・ベイビー」「ピアノ・ブルース」(劇場未公開)「許されざる者」。映画は、ホームドラマの泣いたり笑ったり怒鳴ったりが嫌いなのと同じ意で、あんまり好きじゃない。10代の頃に「ローハイド」のロディーが好きだった。好きだが観ないで山に入ることが多かった。里山の脇を通ると、「ローハイド」主題歌がよく聴こえてきた。毎週土曜日夜8時放映。「あぁ、家でテレビを観ていればいいもんを、なんでこうして山に入って行くんだろうな」と思ったもんだ。これから河原で一人ゴロ寝して夜明けを迎える…。イーストウッドは今、76歳だってさ。「人生なんでつまんねぇもんだ」と言わんばかりにの渋面。「ピアノ・ブルース」はレイ・チャールズ他ミュージシャンにインタビュー。楽天家のジャズマンに比し、彼の渋面が際立っていた。腹の底から笑ったことが一度もねぇんじゃないかなと思った。それが芸風なんかなぁ。諸田玲子「源内狂恋」を読了。平賀源内の晩年は陰鬱さを増して刃傷沙汰のあげく牢死。あたしはウソでも笑っていたいクチだが、上記二件の影響であたしの面(ツラ)も渋面なり。

<7月2日(日)>
世阿弥(ぜあみ)「風姿花伝書・第一 年来稽古條々」 
12、3歳は「時分の花」。
17、8歳は「重大な転換期。声変わりにより第一の花を失う。姿形も腰高になり、見た目の花も失う」
24、5歳は「当座の花。初心の賜物に過ぎないのにまことの花と取り違う心が真実の花を遠ざける」
34、5歳は「盛りの絶頂。ここで究めることができなければ先が難しい」
44、5歳は「よい脇のシテ、後継者を育てておくこと」
50有余は「麒麟も老いては駑馬に劣る」とは言え、老骨に残る花の証はある」。

<7月3日(月)>
世阿弥は室町時代。今の歌手なら
 30代では未だ若く、40代〜50代が面白い。石川さゆり48歳。五木ひろし58歳。これからとっかかる「ソングブック」表紙デザインの坂本冬美は確か39歳。昼頃に原稿アップ予定の長保有紀は確か47歳…。編集部には若い歌手のインタビューはお断り、と申し出ている。

<7月4日(火)>
入門書
 「歌舞伎鑑賞入門」「超ジャズ入門」「日本音楽がわかる本」を寝転んで、とっかえひっかえ読んで初心に戻っております。それぞれ趣向を凝らしてい、とても面白い。あたしが初めて買ったレコードはMJQの『ジャンゴ』だった。それから新宿の「風月堂」で首を振るようになった。

<7月5日(水)>
明治丸
 かかぁが読売新聞の勧誘の口車に乗って、読売も取るハメになりゃ〜がった。朝のトイレは朝日と読売を読みつつで倍の時間になった。その読売の「歴史散歩」に、東京海洋大「明治丸」が載っていた。6月27日に「月島」下車で佃島から門前仲町ウォーキングの際にソレを撮ったばかり。明治7年建造。明治9年に明治天皇が東北などを巡幸して7月20日に横浜帰着。これが「海の日」(今年は7月17日)になったとか。同船は明治29年に引退し、現在の地に置かれ海洋大生のマスト訓練の場となったとか。それだけのはなしだ。♪それだけのはなしだ〜と突き放して終るさゆりさんの新曲『かもめの女房』紹介のファン倶楽部誌は、同曲が9月6日発売で、校正が上がっているにもかかわらず発行を1ヶ月遅らせたいで、机上で眠ることに相成った。閑だから机を整理していたら『歌、この不思議なもの』テイチクのチラシに、会報に書いた一部原稿がそのまま載っていた。「海の日」は五木さんの軽井沢プリンスホテル・ディナーショーを取材予定。

<7月6日(木)>
「キラ星館」復活へ
 このサイトのどっかに何気なく置いた●が「秘密の扉」で、そこをクリックすっとカラオケ会報誌「ソングブック」に書いてきた五木さん、さゆりさん以外の演歌歌手インタビュー記事を収録した「キラ星館」に入れる。忙しかったんで数年放置だったが、昨日から収録追加の作業をしている。原稿は保存してあるのでHTMLに変換すればいいだけ。でも相当量で全収録には何日もかかるだろうし、途中でイヤになってしまう予感もある。いじりだした理由は、例えば大月みやこさんはすでに4年・4シングルを取材してい、原稿を並べてみるとそれなりに面白いことに気付いたん。あたしはこの業界は30年を超えるが、カラオケ誌の仕事はここ最近で、五木さんとさゆりさん以外の演歌歌手インタビューは初めてのこと。最初はどんな方なんだろう、それが2回・3回になるに従ってだんだん深く踏み込んでいるん。「もう歳なんだから枯れた歌を唄ってもいいんじゃない」なぁ〜んてことを平気で言って笑い合ったりしている。もっと閑があれば、多分やらないだろうが森昌子や日高正人や譲二さんはポニーキャニオン時代のパンフやプロモートペーパーに書いてきた記事を復活させても面白い。何たって20年前の森昌子を書いているのだから…。

<7月7日(金)>
50人斬り
 「キラ星館」一人の歌手に数回インタビューを含めて、目下43人分の原稿を収録。今日はあと7名収録で“50人斬り”と参りましょうかねぇ。えっ、「秘密の扉」の●がどこにあるかわからないって?そりゃ〜秘密ですもん。

<7月8日(土)>
お盆休み
 の予定が早くも入った。去年は某仕事を抱えていて休みどころではなく、今年もなんだかんだと忙しくしていて、でも、そろそろノンビリできるんじゃないかと思えてきた。そう、すっかり遊びを忘れちゃっている、と気付いた。いや、歳とってアウトドアより好きな本を読んでるほうが楽しくなってきたのか…。でも外でも遊ばなきゃいけませんよね。※佃島ウォークから11日ぶりにハードウォーキング。大久保通りで飯田橋〜神保町の古本街へ。片道約1時間もあっちこっち彷徨って夕方帰宅で足が棒。

<7月9日(日)>
ふふふっ 「おまえさん、ビデオ返してきてよ」ってんで、ツタヤに「SAYURI」を返却。ツタヤは2階で1階がブックオフなんだ。でね、うれしい本を4冊みっけちゃって、あたしは至福の気分なり。お好み4冊、昨日の神田古本屋街でもこうはいくめぇ〜。
森岡久元「花に背いて眠る〜大田南畝と二世蜀山人」 その1冊目は、昨年9月に買った森岡久元「南畝の恋」が実はシリーズ作で、その後に2部が出ていて、その3部目があったん。ウワワッと腰を抜かさんばかりに歓喜した。左写真は大田南畝(蜀山人)と同時代に活躍した恋川春町、狂歌名は酒上不埒(さけのうえのふらち)。新宿厚生年金会館前の成覚寺に墓がある。最期は辛い事件があったが、また詳しく書くこともあろうから、今回は写真だけ。
西木正明 『一場の夢〜二人の「ひばり」と三代目の昭和』 2冊目は、半分裏社会から見た美空ひばりノンフィクション・ノヴェル。立ち読みしたら昭和27年に伊豆大島墜落「もく星号」で大辻司郎が亡くなって、大辻司郎事務所の代表嘉山登一郎が、後に美空ひばりのマネージャーとして辣腕をふるったこと、17歳直前の美空ひばりの男(かかぁが、あんたそんな事もしらなかったの。小野満でしょ。当時は有名な話よ)のこと、ヤクザの興行世界など音楽業界の人なら遠慮して書けぬ内容。松本清張の“もく星号”関連に食いついたこともあったあたしは、これまた楽し。二人の「ひばり」の一人は姿を消した同名元女優。「三代目の昭和」の三代目は、言うまでもなく山口組三代目・田岡組長のこと。興味津々なり。
吉川潮「流行歌 西條八十物語」 西條八十は牛込払方町の出身。戸山ヶ原も散策したクチで、「長崎ぶらぶら節」にも登場したっけで、これまた読みたいですね。
村榮「三宅島 噴火避難のいばら道」 4冊目はなんと「大宅壮一ノンフィクション賞に応募したくお願い申し上げます」なぁ〜んて挨拶添付の古本。なぜそんなんがブックオフで売られてんでしょうかねぇ。頼まれた人が処分したんでしょうかねぇ。

<7月10日(月)>
久しぶりに仕事
 今日は某に原稿をファックス&メールし、昼からは五木さんのラジオディ追っかけ取材。ニッポン放送から文化放送、ミュージックバードのエフエム東京へ。LFではポニーキャニオン時代の方と逢ったが、名前が思い出せないままバイク談義をした。QRとFNTでは1ヶ月4回収録で、取材メモをとる手がくたびれてしまった。LFがお台場から戻ってきて便利になったが、QRは55年に区切りをつけて浜松町に移転するとか。

<7月11日(火)>
朝起きて
 まずは「キラ星館」をいじり遊びつつ眼を覚ます。今朝は収録原稿の後記として真木ことみデビュー当初のこと、服部浩子の大島イベントのことなどを加えた。目下収録は54名。「キラ星館」に「〜演歌歌手辞典〜」のサブタイトルをつけましょうかねぇ。そして、昨日の手がくたびれるほどのメモから原稿起こし。メモは記号だから、早く起こさなきゃ何を書いたか忘れちゃう。
近衛十四郎 五木さん:京都の音楽学院に1年間通って音楽全般の勉強をしている時に、近衛十四郎さんの知人のマネージャーにスカウトされ、上京して上原げんと先生の門下生になったんです。先生のところに伺いますと(近衛氏子息の)松方弘樹さんもいらして…。(QR収録で五木さん) 「一場の夢」:大都映画は戦前の一時期に隆盛をきわめていた。近衛十四郎さんがいて、彼が可愛がっていた女優の初代・美空ひばりがいて…。(西木正明「一場の夢」より要約) 仕事と読書の両方で偶然に近衛十四郎さんの名が出てきた。

<7月12日(水)>
昭和27年、伊豆大島に「もく星号」撃墜さる
 分厚い「一場の夢」も半分まで読み進んだ。美空ひばり母娘が神戸に田岡親分を訪れたのが昭和23年12月。翌年、映画「のど自慢狂時代」出演から、やがて『悲しき口笛』に主演、同主題歌が爆発的にヒットした辺りが詳細に描かれている。そして昭和27年、大辻司郎を「もく星号」で失った嘉山登一郎がひばりのマネージャーとして辣腕を発揮しだす…。ここまで読んで、4年前に夢中で読んだ松本清張の「もく星号」関連本を思い出した。清張はこの事件を3度も書いていて、長編「風の息」を破棄するとして『一九五二年日航機「撃墜」事件』を再び書き改める最中、82歳の生涯を閉じている。で、要は国連軍の演習で仮想敵機とされた「もく星号」が撃墜されたとし、事後処理に動いた米軍の動きを書いているが、彼は大島・波浮に米軍・沿岸警備隊が駐留していたことに触れていない(見落としている)のだ。ダイヤ密売美女も乗っていて、ヘリから降りた米兵達はまずヤミダイヤを秘かに拾い集めた…などと書いていて「諸々そりゃ〜おかしいだろ」ってことで、関連小説を読みすすめながら連日「島日記」にレポートしていたら、当時の思い出をメール下さる島の先輩がいたり、検視をした医師が元気にしていらっしゃるから取材しておきなさいと言う方もいたり…。でもあたしは作家でも昭和史探検家でもないし。読書は楽しい、それだけのはなしだ。※写真は現在飛んでいる大島便の左がボーイング37-500、右がDHC8−Q300。
えっ 早くも船便取れず!
 お盆休みで某が友人と島に来るで、強引に頭をお盆休みに切り替えて東海汽船の予約を見れば、早くも満杯じゃん。どうにか8月11日のジェット艇で2名の予約を取ったが、某らは果たして…。

<7月13日(木)>
西條八十
 美空ひばり・元女優の美空ひばり・田岡親分の物語「一場の夢」を昨夜読了。今日から時代を遡って大正〜昭和初期。吉川潮「流行歌〜西條八十物語」を読み始める。あたしんちの近所、早稲田や牛込辺りもふんだんに出てくるだろう。ゴロンと寝転っがって読み始めたら、ド・ドンとドアが叩かれて17・18日の軽井沢往復チケットが送られてきた。

<7月14日(金)>
西條八十が戸山ヶ原で…
 神楽坂の嘘つき芸者・吉太郎の不貞の現場を押さえた後で、彼女のために作っていた友禅を戸山ヶ原で燃やしている。その頃の八十は淀橋・柏木に在住。『唐人お吉』が売れた頃らしい。彼が中学時代には大久保在住の野口雨情宅も訪ねている。「西條八十物語」を読み始めたばかりだが「戸山ヶ原伝説」に追加すべきエピソードがたくさん出てきそう。夕方、同書読了。で、前記他の幾つかのエピソードに記憶があるよなぁ〜と思ってい、巻末の参考文献を見たら西條嫩子(ふたばこ)著『父 西條八十』とあって「あぁ、なぁ〜んだ」と思った。同書はすでに読んでいて「父は早大予科英文科の頃に諏訪町に下宿」の部分などを「戸山ヶ原伝説」で引用済。その本を探したが本棚の奥にでもあるんだろう、見つからなかった。
戦時下のレコード会社 コロムビアがニッチク(日蓄)レコード、キングが富士音盤、ポリドールが大東亜、ビクターが日本音響。本でそんな文を読んでいたら、ブルルルンと電話が鳴って日蓄レコード3歌手の取材要請が入った。

<7月15日(土)>
読書は約150年遡って大田南畝と二世蜀山人の物語「花に背いて眠る」
 いよいよ読書は9日に買った本の3冊目。二世蜀山人をめざし、ソレをしてあきることのない「おとし」と隠居生活に入った亀谷文宝亭による「南畝先生伝」執筆物語。粋人同士の艶っぽい逸話で彩られた「うふふっ」の読書。花とは「いい女」の意。クーラーの効いたフローリングで寝転びながらの真夏の読書にふさわしい。でもこうして家に籠もってんと「いい花」を見る機会もねぇ。※昨日、眠らせていた「さゆり倶楽部」に印刷指令は入ったが、もう一本は梨のつぶて。昨日は一回公演のはずだったのにぃ〜。

<7月16日(日)>
雷雨
 昨日はお彼岸で墓参り。突然の雷雨で東屋に避難約1時間。耳をつんざく雷。今日は「キラ星館」に続き、これまた数年間放置の「五木ひろし」コーナーを整理整頓。まずは「カラオケファン」24回連載原稿、バイオグラフィーを収録。※読書は村榮「三宅島 噴火避難のいばら道」に入る。真面目な好感の持てる文章。離島の噴火避難生活の大変さに胸が打たれた。

<7月17日(月・祝)>
軽井沢へ
 昼頃に五木さんの軽井沢プリンスホテルのサマー・ディナーショー取材のため「あさま」に乗る。写真は「海の日」らしく…。

<7月18日(火)>
五木さんは
 昨夜ディナーショー、今朝はファンの集い「ティーパーティー」。その後、軽井沢から東京そして京都へ。今夜の「歌謡コンサート」は京都より『高瀬舟』中継です。雨の中、和服に傘…。ご注目下さい。

<7月19日(水)>
島の車
 軽井沢に行く前の日のこと、島から突然の電話。「おぉ〜い、いつも乗っている車が車検で、おめぇの車に乗ってるゼ」「いいとも。乗ってもらわないとバッテリーが上がっちまう。断らず勝手にどんどん乗っててよぅ」「3連休だからさ、島に来るかなと思ってさ」。車を預かってもらっている陶芸家が青梅の窯から動かず、留守を守っている方とはまだツーカーではないもどかしさ。「あぁ、車の税金もまだ払ってねぇ」。車検代と税金払って年に数回使用の大島車。大無駄だがいつかはまた「週末大島暮し」…と島の車は手放せない。マツダの4駆だがもう錆び付いてんだろうなぁ。昼寝で読書、サイト整理はやめて、お盆休みをとるために、今日から仕事を前々に片付けておくべしと机に向かっているが…。

<7月20日(木)>
奥義
 花を知るということ、すなわちこの道(能)の奥義を究めることとなる。時分の花、当座の花などは人の目にも見える。それらは芸より出で来る花で、やがてまた散り失せる時が来る。まことの花は「心」だから、咲く道理も散る道理も「心」のままである。さすれば名望も消えることはない。花は「心」、種はわざ(芸)である。花を知りたくば、まず種(芸)を知ること、究めること。「花は心、種は技」である。(世阿弥「問答條々」よりあたし流意訳)。最近「花」が気になります。最近読んだ本は「花は志ん朝」「花に背いて眠る」だもん。

<7月21日(金)>
奥義の続き
 花は万木千草四季折々に咲くから、その時を得て咲き、散るゆえに珍しく、面白く、愛でられる。常住せぬから花なのだ。「花=面白い=珍しい」は同じ心である。芸をさまざまと究め尽くせば、その時々に合った芸を取り出すこと、工夫を得れば、季節の花が咲くのを見るごときである。そのためにも十体(あらゆる芸種)を心得るべきである。十体を得た人が、その中に工夫を加えることで芸は百色(ももいろ)にも亘る。また十体より大事は、年々去来の花を忘れぬこと。幼い頃の容姿、初心の時の技、油の乗った時分の演技、老年のたたずまいなど、その時代時代に自然と身についた芸をすべてを今、一度に持つことである。
以上の秘伝は他言禁止。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず。(世阿弥「別紙口伝」よりあたし流意訳)。

<7月22日(土)>
奥義の続きの続き
 技巧についての口伝:いつもの同じ演出と音曲なので、ここはこういう風にやるはずだと人が思い込んでいる場面を、そこに住せず、心中の同じ振りではありながら、いつもよりは軽がると芸を嗜むんだりしてみる。音曲も同じものではありながら、なお工夫を廻らせ曲を彩り、声調を嗜み、われながら今ほど気に入ったことはないというほど大事に演じるのだ。(出典は上記と同じで我訳)。
※これはもう、五木さんやさゆりさんのステージ通り。例えば五木さんの先日の軽井沢サマーディナーショーでは、国府弘子ピアノでボサノバ・アレンジの『よこはま・たそがれ』、ジャージーな『待っている女』を聴いたばかり。ヒット曲はそれぞれ数十の編曲を持っていよう。これすなち、珍しさ=花なり。
※明日は20年間、『天城越え』を歌い続けているさゆりさんの新歌舞伎座に行ってくる。果たしてどんな花を見せてくれるか。


<7月23日(日)>
大阪
 新歌舞伎座を観て後に取材。泊まって翌日帰京。

<7月24日(月)>
探し物(1)
 「探したんだけれどもないのぅ。また紙焼きしてくれるぅ〜」。昨年某大会での3者揃いぶみ写真。紙焼き依頼はこれで4度目。押入れ収納済みの箱を引っ張りだしてネガ探しに半日を要す。ネガ3本を送って、あたしの手から離した。
探し物(2) 「制作裏話は先生方に直接訊いてみて」と言われて「あっ」と閃いた。確かNHKでそのドキュメント放映があったはず。検索したら1999年刊で本も出ていた。ならば古本ネット。在庫なし。そう、図書館だ。新宿図書館で検索。あった・あった。借りに行こうと思ったら月曜で休館日。明日、図書館で「そして歌は誕生した」を借りることにした。

<7月25日(火)>
弦点回帰
 机のラジカセには、いつも「今」の仕事の音(CD)が入っているが、なぜか昨日から昨年3月の弦哲也「弦点回帰」が入ったままで、今朝はジャージーな 『小樽運河』 から 『アカシア挽歌』 『一葉恋歌』 そして最終の 『天城越え』 から 『北の旅人』 と聴きながらモーニングコーヒー。仕事柄、朝から演歌でございます。えぇ、本チャン原稿に迫られた時なんか、朝なのに分厚いカーテン締め切って夜の気分で書くこともあんですよぅ。朝なのに夜…こう書いて、例の秘伝書にこんなんがあるのも思い出した。
秘儀にいう そもそも一切のものは陰、陽、和するところの堺に成就することを知るべきである。だからこそあたしのコレは「境界亭日乗」なんっちゃって。

<7月26日(水)>
「そして歌は誕生した」
 「これは松本清張さんの“天城越え”ではなくて、岡本綺堂“修禅寺物語”がべースなんですよ。でも吉岡先生は北条政子のイメージが強くて、それで私の良妻賢母のイメージを超えようとしたんです」。昨日のこと、新宿図書館で同書を借りた。この番組で『天城越え』の秘められた物語が放映されたのは、同曲誕生から10年後、今から10年前だった。
「世阿弥」関連6冊を借りた 図書館に行くなら「そうだ、世阿弥関連も借りよう」と思った。グッドアイデア。芸術新潮の平成12年6月号は「あの風姿花伝は芸能界勝抜きマニュアルだった」と大特集。不倫と性愛の大家で恥ずかしくて一冊も読んだことのない渡辺淳一「秘すれば花」は、わたしは風姿花伝を人生の指針として愛読してきたと詳細解説。ちなみにあたしが持っているのは水野聡訳。石黒吉次郎著「世阿弥」は評伝。森本房子著「幽鬼の舞」は世阿弥の小説。日本古典文学全集の一冊ん中には「能楽論集」が収められ世阿弥代表書の低本と解説が載っている。そしてあの発声が気になってしかたがない野村萬齋著「狂言サイボーグ」も借りた。あたしの夏休み読書は世阿弥三昧になりそう。

<7月27日(木)>
『天城越え』奥義(1)
 日々同じ歌を唄っていても、心を開き心のアンテナをシャープにすることで自分が日々変化し成長していれば、その身体を通し響き放つ歌は常に新鮮な生命を帯びるはずです。
『天城越え』奥義(2) これは演じ切って唄う歌です。しかし迫真で演じていても、演じる自分を客観的に見つめる眼も必要です。女優さんがこの歌を好きなのもそんなところなのかも知れません。(離見の見:りけんのけん)
『天城越え』奥義(3) 情念の歌とよく言われていますが、これはかくも深く人を愛したいと願う女の叫びで、女にとっては普遍テーマの歌です。
『天城越え』奥義(4) この歌はすでに2世代に亘って唄われていますが微塵の古さを感じさせないのは、この歌を唄う誰もが今の自分を唄っているからなんだと思います。
…と言うようなことを石川さゆりさんが書いてきた。9月21日売り号の月刊「カラオケファン」に載る予定。今日、新歌舞伎座、千穐楽です。お疲れ様でした。

<7月28日(金)>
再び1位の五木さん
 今日は31日付けオリコン演歌チャート再び1位の五木さん、新宿コマ前の特設ステージでの同劇場9月公演製作発表とアルバム『艶歌』発売告知イベントを開催。これを取材し、その足でコロムビアで金田たつえさんを取材。
野村曼齋 狂言は謡や舞という基礎訓練に立脚したセリフと仕草で成り立っている。ことにセリフは「二字目を張る」といって、文節毎の二音節目を強める。高低差のある抑揚を作り音楽性を持たせるのである。それが口跡・滑舌の良さと相俟って「美しい、はっきりとした日本語」を生み出す。狂言師はよく響く肉声で日本語を話すことにプライドを持ち、日本語のプロフェッナルを自負する人も少なくない。(中略)。(声は)解りにくくなった日本語を、音のイメージで想起させるための、語感を操ることができる。声の存在感、声のリアリティー。言葉の音楽性だけでなく、それを発するための息の当て方が重要である。能楽の世界では「ツメ、ヒラキ」といって「気を溜めること、解放すること」を一種の呼吸法のように扱うが、言葉を発するときにもあてはまる。(「狂言サイボーグ」より) ※CDかDVDを手に入れてみよう。

<7月29日(土)>
囲炉裏
 金田たつえの8月23日新曲は『囲炉裏』。♪昔 囲炉裏の回りに 人が居た〜 と唄っている。前作からの浪花節要素を入れた歌唱で土っぽくあったかい声で唄っている。コンセプトと歌唱が明確だからそんなに訊かなくても(インタビューしなくても)充分に書ける。で、実はあたしも囲炉裏が欲しい。問題は換気対策だな。今朝の読売「環境ルネッサンス」欄に「囲炉裏で香ばしく焼けるおやき」の写真が載っていた。過疎の村が村おこしで「おやき」を売り出し年商7億数千万円。囲炉裏で焼く「おやき村」に年間8万人が訪れているとあった。あたしがプロモーターならこうした囲炉裏が売りの施設、旅館にサンプルを送りつけるのだが…。「井戸端」なんて言葉も死語になっている。

<7月30日(日)>
いろいろ
 昨日は久しぶりにレンタカーで走った。車が必要なんぞ1年に数回。都心に住んでいる者にマイカー離れが進んで、みんな賢くなっている。今日はテレビ「のど自慢」を観る。坂本冬美がゲスト。1日にインタビュー予定。それを観たら一昨日撮った写真を現像・プリントに出し、五木さんイベントと、その後に取材の金田さんの原稿下書き。その間に女子サッカーの北朝鮮戦も観る。世阿弥の小説も真ん中あたりまで進んだから、仕事の気分転換にチョボチョボと読むだろう。最初は室町三代将軍・足利義満他の稚児趣味のシーンとかで生真面目なあたしは眼を(想像力)白黒させてしまったが、いよいよ「花伝書」をまとめだすあたりか…。そうだ、昨日はケータイに「俺、俺だよ。思い出してごらんよ。わかんないのかなぁ、ほら中学の…」。忙しいのにそんなんのかまっている閑もなく、大昔のことが声だけでわかるはずもなく、なんだか変な電話だった。悪戯電話だったのかなぁ〜と気になる。

<7月31日(月)>
世阿弥の最期
 あれほどの能の秘伝書を数々遺した世阿弥だが、読み終わった小説によると子が産まれず養子にした「元重」は権力者に取り入って敵対する存在になった。その後に産まれた実子「元雅」は「父の芸は民衆をみていない」と政局に走って不慮の死を遂げた。次男・元能も「オヤジにはついていけぬ」と出家した。結局、我が子には芸を伝授はできず、72歳で佐渡に遠刑された。芸は一代なのかもしれないな。これから小説ではなく評伝を読んでみる。年末進行ならずお盆休み進行で、息もせずに原稿を2本を仕上げた。あたしには人へ伝えるものは何もなく、息子に遺す財産もなく、人に嫌われつつもどうにか今月を生きたぁ〜。


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