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今号表紙における
笙野頼子氏のタイトル表記について
「三田文学」春季号表紙におけるタイトル表記について、著者のひとり笙野頼子氏から電話をいただきました。表紙の余白に刷り込んだ『■田中和生「笙野頼子氏に尋ねる」を読んで 笙野頼子』という表記が、「タイトルの改竄」であり、すでに文芸家協会にも報告したので、文書で回答するように、とのことでした。以下、そのことについて記します。
 まず何より、ご執筆いただいたにもかかわらず、不快感を残す結果となったことを、編集にあたる者としてお詫びします。そのうえで、少し詳しい経過の説明を行います。
 前号(冬季号)に掲載した田中和生氏の「文学閉塞の現状――笙野頼子氏に尋ねる」に対し、雑誌発行日に早くも笙野氏から電話があり、いわゆる〈反論〉を書いていただけると知って、「今回はすべてお書きになったままを頂戴します。注文は一切付けません」と申しました。田中氏が書いた原稿枚数も伝え、同じだけお書きくださいとも言い添えました。結果、今号の18ページにわたる稿をまもなく頂戴できました(ちなみに田中氏は17ページ分)。
 笙野氏の文章のタイトルは「徹底検証!前号田中怪文書の謎」です。しかし編集部としては、これだけでは経緯を知らぬ読者に分かりにくいと考え、著者校正の際、ゲラのタイトル右肩にあたる位置に、
    ■ 田中和生「笙野頼子氏に尋ねる」に答える
 と入れたい旨、書き込んでお送りしたところ、末尾を「に答える」ではなく「を読んで」としたい、とご返事を受けました。そうして決定したのが、

    ■ 田中和生「笙野頼子氏に尋ねる」を読んで
             
徹底検証!前号田中怪文書の謎

  です。今号の目次と本文には、ともにその二本のタイトルが並んでいます。
  さて、表紙への記載についてですが、前号の田中氏の場合も表紙にタイトルと著者名を刷り込んだので、笙野氏の場合も同様にすべきなのはいうまでもないことです。しかし雑誌作成の最終段階で、表紙へ「徹底検証!前号田中怪文書の謎」という文字を並べることに抵抗感が生じ、考えれば考えるほど、それだけはどうしてもできないという気持が強くなりました。私が考える「三田文学」の伝統と価値観、あるいは「三田文学」の言説空間のなかで、「怪文書」という言葉を含んだタイトルは表紙に使えない。むしろ表紙へのタイトル表記は「田中和生「笙野頼子氏に尋ねる」を読んで」のほうが読者にとっても分かりやすいのではないか……。
  以上が笙野氏のメインタイトルを表紙に転記せず、もう一本のタイトルを用いた理由です。それはタイトル改竄ではなく、たとえば誰かが書いた追悼文を表紙に刷り込む際、そのタイトルは省いて、ただ「追悼○○○○」として執筆者名を添えるのと同様の、狭い余白を有効に利用する方法だと考えます。
  しかし、田中氏の場合はメインタイトルをそのまま刷り込んだのに、なぜ笙野氏の場合は違えたのか、という指摘は残るでしょう。たしかに田中氏は三田文学新人賞の受賞者であり、三田文学から育った批評家です。かつては小誌編集部にも所属していましたが、商業文芸誌にしばしば文章を発表するようになり、くわえて三田文学新人賞選考委員になってからは、編集部員からは外れてもらいました。しかし三田文学会の会員ではあります。それ故に「三田文学」が田中氏の肩を持ち、田中氏のために今回の論争を計画したというのは的はずれです。ちなみに今号の編集作業中にも田中氏は二、三度、編集部を訪れました。それでも、笙野氏のゲラには校了時まで彼は一切触れることも眼にすることもありませんでした。にもかかわらず、今回の表紙への表記方法が笙野氏にもしある誤解を与えたとしたら、編集担当者としては誠に残念です。三田文学は創刊以来、あらゆる書き手への門戸開放と機会均等をモットーにしてきたのですから。
  今回の笙野・田中論争において、「三田文学」はどちらの側にも立っていません。判断は読者諸賢にゆだねています。笙野氏のメインタイトルを表紙に刷り込まなかったのは、先にも記したように、私が捉える「三田文学」の言説空間に笙野氏の選んだタイトル文字が合わなかったからであり、また、編集部が笙野氏のタイトルを改竄したのではないことも先に記した通りです。
(加藤宗哉)

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