プロフィール
略歴?

1973年10月28日(日)生まれる
生まれると同時に大騒ぎ。とことん体が弱く、10年はやく生まれていたら間違いなくここにいない、と言う医者のお墨付きなくらいにすごかったらしい。

1978年頃
その頃通っていた保育園がつぶれたので、別のところへ行くことになる。
移った先ですぐにあったイベントが絵のコンクール。貼り絵で「卵から生まれた動物」を描くことになっていた。    のだが、どういうわけか私の描いたのはであった。この時点で充分すごいがその絵がどういうわけか審査員たちの心をとらえ、上から2番目だか3番目の賞をもらう。それが全国コンクール文部省主催だったらしく、もらった賞状には当時の大臣の名前が書いてある。
このコンクールの発表を見に東京まで行ったんだけど、母曰く
「全国コンクールはこりごり」
だそうだ。

1980年から
めでたく小学校に入学。担任の先生が私の絵の才能に着目し、図工の時間に描いた絵を片っ端からコンクールへ出品。片っ端からいろんな賞をもらってくるもんだから調子に乗って、どんどん出品されていった。
そのおかげで月に一回くらいの割で朝礼のときに朝礼台の上に行くという人生であった。
だが、3年生以降の担任の先生はそう言うことをしなかったので、平和に暮らす。
4年生の頃、宿泊訓練というやつの直前に40度の高熱を出し、生死の境をさまよう。出発直前に熱が下がってきたので行けるかと思いきや、医者の一言
「バスに酔うからやめた方がいいね・・・・どうしても行くならヘリコプターで運んでもらうしかない」
バスに酔うのはイヤだが、ヘリコプターには乗ってみたかった。が、そんなことができるわけもなく、あきらめる。
5年生になると市の大会に出るためだけの「水泳部」に参加。大会にも参加するが、いかんせんこのころの私は体力的に平均値を大きく下回っていたため、成績は残せず。翌年は外耳炎にかかったため、そもそも泳げなかった。

1986年から
中学にはいると美術の先生がまた私の絵の才能に着目し、美術の時間に描いた絵を片っ端からコンクールへ出品。またしても片っ端から賞をもらってくるが、既に何をいつ出品したかを先生が忘れていたため、突然賞状が届くという緊張の日が続く。
このころ入っていた部活が陸上部であったが、いかんせん体が小さく、それにあわせて手足の長さが短かったため、当然ろくな成績が残っていない。
高校受験が近づくと皆一斉に勉強し始めるが私は再放送されていた「ザブングル」を見る日々が続いていた。

1989年から
高校入学。県内でも指折り(?)の進学校で、レベルも高いはずだが私がここを受験した理由は
家から近いから
であった。
たいして勉強もせず、ふらふらとした生活を送っていたので、一度だけ数学のテストでひどい点数をいただく   理系のクラスで最下位。しょうがないので、珍しく勉強をしたらつぼにはまったらしく学年で20位までに上り詰めることができた。人間、やればできるもんである。

1992年から
大学入学。家から片道2時間という大変に良いところ。もちろん4年間通った。1回だけ忘れ物をして大学からまた家に戻るという暴挙もしたが、今では良い思い出・・・・かなぁ?
このころ、パソコンというものを購入し、本格的にさわり始める    と言ってもゲームばっかりやっていたが。

1996年から
会社に運だけで就職し、現在に至る    らしい。


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