2010年4月5日

「龍馬伝」と「坂の上の雲」を問う

 上記表題の講演会を、「広場」の総会の後に開催した。「龍馬伝」「坂の上の雲」の二つは、昨年末から始まったNKH大河ドラマであり、これらの二つのドラマは、合わせて3年間にわたって放映される。
 愛媛県議会で昨年12月議会において、議員立法で制定された「えひめお接待の心観光振興条例」案を提出した自民党「条例案作成チーム」の提案理由は「『ドラマチック四国』を銘打ったNHKドラマで「龍馬伝」や「坂の上の雲」が全国的に注目されている好機をとらえ、愛媛の観光振興を盛り上げよう」というものであった。また、本会議場でも、議員からたびたび「坂の上の雲」の町づくりに陽が当っていることが語られる。
 松山市では今年度、約4800万円の「坂雲町づくり予算」が可決された。そればかりではなく、市長自ら司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の語り部として、小学校などに出向いて「講義」(語り部事業というらしい)を行っており、このNHKドラマを見て家族で話し合うようにと言う文書までが、市教委から子どもたちを通して各家庭に配布されているのだ。
 いまだかつて、このような類の教育委員会の現場への干渉があっただろうか。私たちは、このようなことが、教室で学ぶ子どもたちの歴史観や人生観に、どのような影響を与えるのか考えておく必要があろう。

野田正彰さんからの手紙

 数ヶ月前に、高知のご出身で京都にお住まいの精神科医、野田正彰さんからお手紙と、先生が執筆された高知新聞の記事が送られてきた。その大きな紙面の表題は「加熱する龍馬に寄せて」「隠されていた軍国土佐」「ブームに潜む危うさ」とある。
 また、同封されたもうひとつの信濃毎日新聞の野田さんの「コラム」には「坂の雲の暗雲」との表題。「・・・虚偽の歴史によって。NHKは今、「坂の上の雲」と「龍馬伝」によって、ドラマによるイデオロギー宣伝の時代を切り開きつつあるようだ。」との結びの文章である。
 この国の一級のジャーナリストであり、文筆家であり、論者である野田さんの文章に私は触発された。
 また、この愛媛にも、市井の人でありながら、優れた歴史家であり論客である高井弘之さんが昨年末、「検証・坂の上の雲」という冊子を著して世に問うておられる。この冊子は全国から注文が相次ぎ、現在3刷目であるとも聞く。
 私は、このお二人に、講演と対談をお願いすることを提案して、実行委員会を作ったのである。

龍馬が「海軍の神さま」だったとは

 野田さんは、全国を歩いて「軍人を町のシンボルにして、観光に使っている県は、まずないだろう」と話し始められた。愛媛の、日露戦争で活躍した「英雄」秋山兄弟を、持ち上げて「観光立県を!」と謳う、愛媛県や松山市のことである。
 あの誰もが明治維新の英雄として考える坂本龍馬について、野田さんは、「33歳(1867年)の若さでテロに倒れて死んだ坂本龍馬は、青年期から壮年期にかけぬけて生きた、その生涯が短かったために、人々が若さや情熱ゆえに憧れ、モデルとされやすい」と言われた。「龍馬が生きていればどうなったか。彼の書いた『船中八策』の中には、後の自由民権運動に発展していく思考と、国権を強化し朝鮮、中国に出て行こうとする構えが書かれ、二つの考え方が共存している」という。そして、1904年、一度死んだ龍馬が再び登場する。日露戦争においてである。龍馬は、何と「日本海軍」の創始者とされ、軍備強化、軍事化に利用されていく。
 同時期に桂浜に建立された龍馬の銅像の除幕式には駆逐艦が停泊し、海軍・陸軍の兵士が参列した。龍馬は日露戦争時から「海軍の神様」とされていたのである。・・・史実を知らないことは何と恐ろしいことだろう。

「気持ちよく見ているのに、何事か」

 野田さんが、高知新聞に書いた後、同新聞の投稿欄には、「ドラマではないか」「せっかくみんなが楽しんでいるときに・・」というような「反論」が数多く寄せられたという。
 しかし、野田さんは言う。「その後の土佐は、人権の不可侵、男女同権を説き、市民の抵抗権、死刑の廃止などを明文化した日本国憲法案を作った優れた自由民権運動の指導者、植木枝盛を弾圧し、以後半世紀日本敗戦まで「自由民権運動」は知ることさえ許されなかった」という。そして、「一方で、封建大名であった山内家は土佐の子弟を軍人にするため『海南中学』を作り、卒業生の多くを陸軍士官学校、海軍兵学校へ送り込んだ。そして、徴兵された高知の兵士の多くが攻撃的な軍隊となって中国侵略を支えた。」
 「龍馬のロマンから一直線に、今日の高知へ続いているわけではない。・・・国家権力の強化によって一身を確立しようとする権威主義、上下のタテ関係、立身出世、狭い秩序の中での几帳面さは、戦後の高知文化にも流れ続けてきた。」
 「NHKの時代ドラマは作り話である。フィクションによって感情を沸き立たせ、歴史を歪めてみてよいものではない。」・・・高知に生まれた野田先生は「土佐人こそ近代高知の歴史を直視し、過去を克服する位置にある」と、高知新聞に呼び掛けておられるのである。

人は連続性の中で生きる

 野田さんのお話では、歴史も人も「連続性」をもつものであり、都合の悪いところを忘れて、または切り捨ててよいものではない、「龍馬が活動した十数年に比べて、遥かに永い半世紀を超える軍国主義の時代があった」こと、それらは『連続』または『統合』してあったことを、忘れてはならないと強調された。一時を美化するだけで後のことは書かない姿勢は、「国家権力が物語を作って国家主義を導入する」ための歴史教育にも使われることに警鐘を鳴らされたのだと思う。龍馬と「坂雲」の時代をたたえて、日清・日露戦争は「良かった」とし、司馬遼太郎が言うように、一方で「昭和の戦争は恥ずべき」などとする歴史観を批判された。

司馬遼太郎「坂の上の雲」

 野田さんのお話は示唆に富む、大変内容の濃いお話であったが、続いての高井さんのお話も、核心を突く検証に裏打ちされて深い思考の共有を私たちに促された。高井さんご自身が言われたように「じっくり話すには3時間が必要」であるという内容を、1時間足らずでお願いをしたのだから、申し訳ないことであった。しかし、歴史を歪めて、自己中心的な「物語」を作り、日本讃美を行うことへの憂慮と熱い怒りが伝わってきた。
 司馬遼太郎の描く小説「坂の上の雲」の内容は、「歴史的事実に反すること、余りにも自国中心で独善的な歴史認識、統治者的立ち位置、根拠も実証もない断定など、多くの問題がある」ことを、小説の具体的な文章を会場の人たちと一緒に読みながら検証していった。
 司馬にとっては、日露戦争はあくまでも、アジアの新興国・日本がヨーロッパの大国ロシアを打ち負かす戦争であった、そのロシアは『極東での侵略道楽を始めた』国であり、そのロシアと起こした日露戦争は「悪者ロシアから祖国を守るために、日本が『生きる力のぎりぎりのものを振り絞ろうとした防衛戦であった』と書き、さらに『日清戦争から日露戦争にかけての十年間の日本ほどの奇跡を演じた民族は、まず類がない』とも礼賛して、その戦場となった朝鮮半島の人々が大量虐殺され、その後さらに植民地とされた人々への視点が全くないことを話された。
 高井さんは多くの資料を挙げて、日露戦争を次のように定義される。「日露戦争は朝鮮からロシアの勢力をつい逐い出して、日本が朝鮮を単独支配するためにロシアに仕掛けた戦争であり、実際、戦後の講和条約において、ロシアに日本の朝鮮単独支配を認めさせたものである。また日本は、この戦争中から朝鮮の保護国化を進め、戦後完全に保護国とした(1905)あと、植民地にしたのである、(1910年)つまり、日露戦争の過程は、そのまま日本が朝鮮を植民地化する過程であり、朝鮮の側からすれば、日本によって植民地化される過程であり、またそのことに対して多くの人々が死を賭して抵抗し、阻止しようとした過程であったのである。
 さらに、戦場とした中国の満州では、日露両軍が多くの中国人に被害を与えるとともに、戦後、日本は、この中国の地におけるロシアの利権を日本がロシアに認めさせたのである」(検証・『坂の上の雲』より)

民衆の側からの視点

 また、高井さんは「明治維新という時、ひと握りの幕末の『志士』のみに光を当てて、その時代を語るという事を、我々はしがちであるが、実はこの時代に日本の各地でも、新政府に対するさまざまな抵抗運動の歴史がある。このことを忘れてはいないか」と問題提起をされたのである。私は歴史に疎いとはいえ、現代人が語る歴史は、本当に当時の民衆や農民がどのようであったかを忘れていると思う。大切な視点であり、今後学習したいと思った。

重なった二つのドラマ

 確かに「龍馬」には私たちのロマンをかき立てるものがある。しかし、彼は日露戦争に突き進む時の、ナショナリズムを鼓舞する役割を、後世の『国家』によって担わされた。一方、今日この愛媛から小説「坂の上の雲」によって、軍人として闘った秋山兄弟をたたえて、子どもたちを教育しようという風潮が広がりつつある事実によって、二つのドラマが私の中で重なったのである。
 野田さんは、秋山兄弟が戦地から帰還して、この松山でどのように生きたかを語られた。兄の好古は、今の北高校の校長となったが、その在任中、「軍事教練」を、簡単には受け入れなかったという。また、弟の真之は、虫垂炎にかかったが、手術を拒否して長くは生きなかったというのである。この二人の、日露戦争後の心象風景はどうであったのか、司馬は全く書いていない。人には「連続性」「統合性」があることを、改めて指摘された。この事実についても、今後私たちが考える材料にしなければと思った。

書ききれないもの・・・

 お二人のお話をここに私なりにとどめておきたいと思って書いたが、まだまだ足りないのである。また、正確に描けていない部分があるかもしれない。しかし、この偉大なお二人の「批判者」の存在は、私たちの行く道を照らすものであると思った。そして「戦争賛美教科書」を採択してきた愛媛県に住む我々への、課題を改めて考えさせられたのである。


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