(〜2003.12/31)

2003年12月23日
 もう少し前の事になってしまったけれど、大阪で釣り人ばかりの忘年会に混ぜてもらった。
T.W.J 内藤君と車を飛ばして行ったのだけど、彼といろいろ話すのも久しぶりで、道中は楽しく、大阪までの距離も全く苦にならなかった。

趣味で括られた仲間と時間を共にするのはなんでこんなにも楽しいのだろう。
僕たちプロビルダーのささやかな苦悩など取るに足らない焦燥を、ほんとうはみんな抱えているだろうに、虚勢とかじゃなく、どこからかおかしみと優しさがこみ上げてきて、みんな良い顔になってしまっている。

理由など考えるのはよそう。
友人がいる、ただそれだけでいいのだ。

Distagon 25mm f 5.6 RVP100
 八千代丸に乗った。船長はてっちゃんつながりでしかも同い年の松本徹也だ。
かの有名な(ごく一部でやけど…)源洋丸の松本しんちゃんの実の兄貴である。

僕はこないだの愛媛のヒラスズキ釣りのように、いろんな船に乗ってきたけど、松本兄弟ほど操船が上手で、しかも、釣り人を楽しく釣らせてくれる遊漁船を他に知らない。
僕にとってはまさに日本一の兄弟船である。

初めてのオフショアルアーフィッシング、そして数々の大物との激闘、想い出に残るエピソード。
僕の釣りの想い出の何割かは、兄弟と共有しているのだ。

この見事なアオリイカと笑顔を見よ!
これからもよろしくね。
八千代丸HP→http://www.h6.dion.ne.jp/~yachiyo/

EOS100 28-80mmズーム RVP100
 つい先日まで、季節はずれの実を青々とつけていたシシトウが、急に赤く色づいた。
山の木々も紅葉のタイミングを逸したようにいっぺんに茶色くなり、そして散ってしまった。
冬の楽しみであるメバル釣りも、友人の情報では芳しくないらしい。

温暖化だとか異常気象とか、考えられる理由は幾つもあると思うけど、暦と自然のずれが年ごとに広がりつつあるように感じる。

しかし、目の前の現実が、カレンダーに置き去りにされるような現象は自然界だけに限ったことではない。
むしろ自分の中の時間のずれの方が大きいんちゃうか?

取り残されてしまわぬよう、これから僕は今までより少し速度を上げて、人生を走ろうと思う。

EOS100 17ー35mmズーム RVP100

2003年12月10日
久しぶりにモノクロームのフィルムを使ってみようと思ったのはなぜだろう?
ひとつには、最近オークションで1万円以下という安価で買いあさっているレンズ群の、ほんとのところの解像度が知りたいってのもあったのだが、それよりもきっと、いま目の前に見えている光景の中に、何か違ったものが見えるかも知れないという期待もあったと思う。

こうして見ると、なんだか撮影者の意思がより強調されているような気がする。

OLYMPUS OM2n ZUIKO MACRO 50mm f3.5 開放
写真って、レンズの性能の制限が生む「ボケ」や「画角の変化」を利用した、現在ではりっぱな表現方法の一つとして確立しているわけだけれど、ほんとうは、美しいものや愛おしいものを、いつまでも残しておきたいと願う、もっと単純な動機に基づくべきちゃうかな?というような事を、モノクロ写真は語りかけているように感じる。

構図や色があまり気にならないから、ストレートに主題が引き立ってくる。

OLYMPUS OM2n ZUIKO MACRO 50mm f3.5 f11
友人が悲しみに暮れている。ご兄弟を亡くされたそうだ。
心痛いかばかりか、察するに余りある。

だけどほんとうの悲しみは他人が癒すことなど出来ないんだ。彼もいまきっとその事を痛感していることだろう。

でも心配しなくていいよ。
悲しいけれど人は何もかも忘れてしまう。
身を裂かれるような悲しみも、自分の命より大切に思っていた初恋のあの娘の横顔さえも・・・

そうしていつか単純化された美しい記憶だけが残り、美しいまま残った者の心で永遠に生き続ける。
後悔さえも力に換えることがすぐに出来るよ。

いつか記憶は、まるでモノクロ写真のように色あせてしまうから、だから人は写真を撮るんだと思う。願いを込めて・・・

OLYMPUS OM2n ZUIKO 50mm f1.8 f8

2003年12月6日
12月3日、以前からがちゃこはんとかっちゃんと誘い合わせていたヒラスズキ釣りに、四国の西の最果てまでやってくる。
高松からさらに車で5時間以上、いやはやなんとも遠いとこですな〜。
ここまで来る時間とお金があったらタイまで行けますわ。
それでも尚、ここへ来るその心は、ひとえにヒラスズキがボコボコに釣れるやろという甘い観測に基づいての事でしたが、釣りとはいつも思惑通りには運ばないもんです。

最初は絶好調!
ご覧の通り、がちゃこはんは、しばしソルティープラッガーが満月にしなり、ドラグがジージー鳴る引きを堪能した後、満足げに針を外すのでした。

EOS100 28-80mmズーム ネガティブ
しかし、それは本命のヒラスズキではなくハマチ(現地名ヤズ)でした。
その後、僕にもかっちゃんにも同様のサイズのヤズが連続ヒット。「今日はどんだけ釣れるねん!」とほくそ笑んだもんでした。

しかしその後はまったく・・・
サラシはないのに風はある、自然相手やから文句もいえませんけど、もう2、3日早ければという船頭の言葉に、早くも来春の再訪を決意する私でした。

今回は、竿もリールもルアーも勝手がわからないのでとんでもない量を持参しましたが、釣り場も釣り方もわかったし、今度はもっと身軽に来れるでしょう。

EOS100 28-80mmズーム ネガティブ
松山まわりの道は、風景に変化が乏しく、ただ時間だけが過ぎてゆく退屈なものでしたので、帰りは高知経由で帰ることに決定。
透明度の異常に高い、日本本土の海とは思えない美しい海が、逆光に照らされて輝く様はなんとも言えず、それだけでもここへ来て良かったと思わせるものでした。

欲を出して、途中の港でメッキを狙ってみましたが、小型のメッキアジが数度チェイスしたのみで、釣りたい欲望を満足させることはできませんでした。

たとえ魚が釣れなくとも、釣り場がどんなに遠くても、気の合う仲間と過ごす時間は、代え難い楽しみであります。

EOS100 28-80mmズーム ネガティブ

2003年11月28日
従姉妹ののさち子が結婚の報告に来た。
新郎は韓国人である。

さち子の父親、つまり僕の叔父は、この結婚が面白くないという風に、事あるごとに周囲にふるまっている。
底抜けに人間は良いのだが、教養あふれるとは言い難い叔父の頑迷な頭には、国際結婚であることや、彼が韓国人であることが素直に受け入れられないようである。

しかし当人達は、叔父や姉たちを含めた周囲がどんな反応をするかなど、容易に想像がついた上で、また、無理を通すからにはなまなかな覚悟では添えぬ事もわかっていただろうから、僕に出来ることは何も言わず二人をそっと後押ししてやるのみである。
体裁や偏見を除いた叔父の本当の心は、ただひたすらに二人の幸せを願っていることを、僕もさち子もわかっているから。

Planar85mm f2 RVP100
弱い逆光が、二人にやわらかな輪郭を与え、南天の実は、目が覚めるほどの赤に照らし出されていた。
Valio zonnar35ー135 f5.6 RVP100

2003年11月26日
連休最後の日の朝、どんよりとした天気に早起きの長男は、何やら思案顔で窓の外を眺めている。

どこかへ出かける予定でもあったのだろうか?それともただぼんやりとしていただけなのか?

しばらくして自分でコーヒーをいれて、熱そうにすすりながら本を読み始めた。
とりたてて勉強が出来るわけでも、特技があるわけでも、面白かったりするわけでもない彼だが、不思議なほど欲がなく、無口で、信頼できる、彼はほんとにいい奴である。
これからの長い人生の中で、何度か痛い目に遭いながら、それでもきっと、謙虚で優しさを失わないだろう。
不甲斐ない父を持つと、しっかり者が育つのは、世の常というべきか?
Planar85mm f4 RVP100
被写体を探して、うろうろするのだけど、そんなに決定的瞬間や、絵に描いたような景色がゴロゴロと転がっているはずもなく、大抵はほとんどシャッターを切ることもなく仕事場へ帰還する。

昨日は結婚式によばれて、こりゃ写さねばなるまいと、ストロボと交換レンズ3本携えて式場へ・・・
しかし、今日現像があがってきてがっくりきた。
あれだけとっかえひっかえレンズを換え、ストロボをわざと発光させなかったり、なんやかやと頑張って撮ったのに、グッと来る写真はほとんどないのだ。

やっぱり写真にしても、物作りにしても、心が即物的であっては鑑賞に堪える物などできようはずもないことを、あらためて思い知らされました。
それにしてもつくづくプロカメラマンはすごいと思う。
Tessar45mm f8 RVP100
水質日本一に何度も選ばれた、吉野川支流の「穴吹川」を伝い、紅葉を探して嫁とドライブに出かけたが、行けども行けども赤や黄色に色づいた木々は現れないまま、どんどん標高ばかりが高くなり、とうとう剣山山頂への登山リフト乗り場まで来てしまった。

「いっそのこと登山に切り替えるか」と車のドアを開けたとたん、どっと入り込む外気の冷たさに、ここが標高1500mを越えていることを思いだし、自分達の呑気さに呆れた。

どうりで周りの人達が重装備なわけだと、往復1500円の山頂へのリフトは今度にすることにした。

わずかに見える頂き方向の、老白した梢の美しさに後ろ髪引かれながら、貞光町へぐるり廻って帰ることにした。

Valio zonnar80-200mm f11 RVP100
サンポート高松はとってもいい感じである。
港湾の再開発に伴って作られた200m以上続く広々とした階段状のテラスが、満潮時の海面とほとんど面一に設計されており、手摺り一つのみが、人と海との境界である。

ある者はデートに、ある者は釣りに、またある者は路上ライブに訪れ、後ろのレストランからは、音楽やパーティーの喧噪が絶え間なく聞こえてくる。

左方向、つまり西の海と空が夕焼けに染まり、あたりの光量が落ちると、恋人達にも、釣り人にも、そこにいるすべての人々にゴールデンタイムの到来を告げるかのように、街灯がともりはじめる。

普通の気分の人も、嬉しい人も悲しい人も、きっとこの時間だけは、心を茜色に染められているんだろう。

Valio zonnar35ー135 開放 RVP100

2003年11月24日
CONTAX RX2 + Valio zonnar 35-135mm RVP100
OLIMPUS OM2 + 35-70mm ネガ400
OLIMPUS OM2 + 35-70mm ネガ400
OLIMPUS OM2 + 50mmMACRO RDP3
OLIMPUS OM2 + 50mmMACRO RDP3 ストロボディフューズ
なかなか釣りに行けなくて、何をしているかというと、写真を撮ったりして憂さ晴らしをしているのだ。

オークションで高校生の頃大事にしてたカメラを、再び手に入れてしまったのがいけなかった。

おもしろい!
ピントを手で合わせるという作業の、なんとクリエイティブでたのしいことか。

しかし、ミノーにサインを入れるのに、老眼鏡のお世話になり始めた視力では、名玉だけどもピントを合わせにくいことでは悪名高きプラナー85mmの、極端に浅い被写界深度の山を捉えることが出来ない。
おまけに最近は、露出など常にカメラまかせで考えたことすらなかったので、なかなかリバーサルのシビアなラティチュードに合わせて良い塩梅に補正することが出来なくなっている。
構図などなおさらだ、迷いはじめたらキリがないから、スキャンするときに適当にトリミングして、今はごまかしている。

日がなルアー作って、時々写真を撮って、釣りに行っては、また写真を撮って・・・・
あ〜なんという贅沢なのだろうと、カメラを眺めていると思うのです。
いつまでもこうしていたいと心から願っているのですが、いつまで続けられることやら。

「フィッシングレポート SQ973」
写真をスキャンし直しました。

前の写真は、ラボでCDに落としてもらったものですが、ほんとにアカンタレのスキャンでした。
今度のは自前ですがだいぶ良いです。
元画像ほどではありませんが・・・・

アスペクト比が横長のものがフィルムからのスキャンデータで、すべて新たに張り替えました。
正方形に近いものはデジカメデータなのでそのままにしています。

これからは写真日記でも書きますか?
現像しないといけないので、タイムラグがあるぶん日記とは言えないかも知れません。

明日は近所の結婚式にお呼ばれです。
プレゼントは写真がいいと思いませんか?

2003年10月6日

最近の製品を久しぶりに貼り付けてみました。
5.0cm、6.0cm、7.0cmのトラウト用です。
すべて僕の大好きな横アイモデルのフローティングミノーです。

世の中、なぜかスーパーシンキングミノーが大流行していますね。
6cmで9gだったっけ?そんなのもあるようです、詳しくは忘れましたけど・・・・。
僕も少し使ってみましたが、個人的感想を言いますと、あれはもはやミノーの形をしたスプーンと呼ぶべき代物やな〜って感じです。

たしかにパタパタ動きます。
でも、慣性質量が大きいので、当然ビビッドな動きとはとても言えず、僕の好きなシャープで変幻自在な釣りには向きません。
リップがあるのでスプーンより浮き上がりにくく、低層まで沈めて、レンジをキープしてゆっくりトレースしたい時には有効なルアーでしょう。
イワナ狙いにはきっと効くんだろうな〜。

何年か前までは、僕も必死に大物を求めて釣行を繰り返し、釣れそうなミノーを一生懸命作り、自慢できる結果も幾つかは残してきましたが、いつしか僕にとっての渓流釣りは、釣れた釣れなかったはさして意味を持たなくなって、いい型のチェイスがあったとか、気持ちよい雨が降ったとか、素晴らしいシャッターチャンスをモノにしたとか、あの崖登りはきつかったとか、そんなふうに、今はすべてが等しく大切に思われるのです。
きっと、歳のせいだと言われるに決まってますけど、これで良いのだとも思います。

こう書くと、最近はのんびりした釣りをしているのかと思われるかも知れませんが、さにあらず、釣り自体は相変わらずです。
岩の上をポンポンと飛び渡り、そこだと閃いたポイントに寸分違わずミノーを打ち込み、素早い手首の動きに同調したアルミの閃光で、ジェット戦闘機のような渓魚達をおびきだす。
やっていることは同じなんですが、気持ちの部分が大きく違うのでしょう。

今でも大物をフックアップ出来たらもちろん嬉しいのですが、魚との一瞬のコンタクトがあれば、心はもうほとんど満たされているのです。
残りのわずかな心の空間まで埋めようとすると、それと引き替えに、なぜか罪悪感というネガティブな気持ちがもたげてくるのです。
思うに、帰りのドライブを心地よい物にするには、少しの謙虚さが必要なのではないでしょうか?
方法論を問わず釣果を求めたり、釣れなかったことを必要以上に悔やんだりし始めると、そのとたん心地良さは半減してしまう様です。
いつからか、あまり釣れないときや、思ったようにいかないときはすこし目線を上へ向けるようになりました。
そうするようになってから、釣果へのこだわりが薄れていったように思います。
そして最近は、必ず一眼レフを釣りに持っていくようになりました。
そうするようになってからというもの、なおさら心持ちが変わったように感じています。
本当は、お気に入りのコンタックスと単焦点の明るいツァイスレンズで撮りたいのですが、貧乏なので濡れたりぶつけたりが恐くて、釣りの時は安物のキャノンAFとズームレンズです。フィルムだけはいちおうRVP100ですが。
(こないだ一緒に行った友人は首まではまったんですぜ、カメラぶら下げたまま!防水バッグで助かりましたけど)

逆説的に聞こえるかも知れませんが、だからこそ、僕の渓流釣りには、いかなる状況でも僕の意思をダイレクトに反映出来る、高性能ミノーが必要不可欠なのです。
トゥイッチするから泳がなくてもかまわないなどというエクスキューズが必要なミノーだったり、前記のようなスプーン的用途にしか使えなかったりするシチュエーション限定のプラグでは、僕はあんまり楽しくないのです。
渓を辿りながら積み上げてきた心の流れを断ち切るような、自分の意志とは関係なく、あれこれとルアーを交換しなければならないような、そんなミノーをもう僕は作ろうとは思わないのです。
あえてローテーションをする必要があるとすれば、それはそこに大きい魚がいそうだから大きめにしようだとか、この淵は暗いから目立つ色にしようとか、是非ともここはこのミノーで釣ってみたいだとか、とにかく自分の気持ち発露としてルアーを交換するのであって、ここは激流だからこいつじゃダメだとか、この水深ではトゥイッチ出来ないから換えようとか、状況の変化に迫られて否応なく交換せざるを得ないプラグでは、なんだか気持ちがセコセコしてしまいそうで・・・きっと満足感が何割か減ってしまうと思うのです。

渓流釣りを愛する人が皆同じ考えだとも毛頭思ってませんけど、他人のリクエストに応じて不本意なミノーを作ってしまった苦い経験もあって、これから僕は自分と、そして僕のような釣りを愛する人のために向けてルアーを製作してゆこうと思うようになりました。

「不親切」と言われそうですが、今は、ハンドメイドビルダーたるもの、そうじゃないと「不誠実」な気がしています。

2003年9月23日

 本日、久しぶりに渓流釣行。
天候は曇りのち雨、しかし渇水気味。
タックルはハンドメイド4.5feet ロッドにダイワSS600+3ポンドライン。
4〜4.5cmの小型ミノーで釣り上がる。

魚の活性はすこぶる低く、ここぞと思うようなポイントでも良型の反応は無い。

今日は渓流歩き初めての、写真撮影を趣味とする幼なじみを伴って、半分は撮影目的で比較的なだらかな渓を選択したつもりだったが、慣れない彼にはまだ少しきつかったようで、申し訳ないことをしてしまった。
歩くことで精一杯で、撮影どころではなかったらしい。
それでも時折、僕と魚を撮してくれていた。

ぽつりぽつりと釣れる、ほんのりと秋の色をまとった魚達は、小型ながら気品のある佇まいで、禁漁までにもう一度、会いに来たいと思わずにはいられなかった。

次はバッテリーがあがってセルモーターが回らないバイクを充電して、僕もいつもの安易なデジカメやオートフォーカス一眼レフじゃなく、マニュアルフォーカスに単焦点と三脚を持ち出して、ひんやりとした清冽な空気を胸いっぱいレンズ一杯に撮し止めてこようと思う。

2003年8月31日

さて、いつ以来の更新でしょう。
しょもないことで多忙を極めるうち、エディターの不調もあり更新が止まってしまいました。

はやまさんのお力添えで、やっと新しいエディタを入手し、半年ぶりの更新にこぎつけました。
お詫びに今回は10ページの力作です。
これを持ちまして、どうかご容赦のほどを・・・

以後、更新心がけます。

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