▼ 始めたばかりの事業を軌道に乗せることに没頭している還暦間近の父が、遅くに授かった幼い息子との二人きりの時間を思いがけなく得て、父は息子に自転車を買い与え、自分は借りてきた自転車でサイクリングに連れ出した。
そして立山連峰を遠くに望む、真っ直ぐな土手道を並んで走りながら言うのだ。
「今はまだわからんでええ、暗記するんじゃあ」
「ええかぁ、約束は守らなにゃあいけん」
「弱いものをいじめちゃあいけん」
「女と喧嘩しちゃあいけん」
「人間は自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん」
「言うてみぃ…」
幼い息子は自転車を漕ぎながら一生懸命それを復唱する。
夏に読んだ作者の実体験をモチーフにして書かれたシリーズ物の長編小説の一節が、僕の心に今もくさびのように打ち込まれたままだ。
子への接し方もさることながら、その一つ一つの単純化された言葉が、まるで自分自身が息子になって諭されているように、まっすぐに心に響く。
身の回りにはあまりに過剰な情報と、たくさんの考え方がありすぎて、僕などはしょっちゅうモノの良し悪しはおろか、ともすれば善悪すら定かではなくなってしまうのだ。
だけどこの主人公の、老い先の短さを自覚して息子の中に何かを残そうとする切なる願いと、 幼い我が子に言い聞かせながら実は、歩んできた道を少しの後悔と共に振り返りながら、残りわずかな生に最後の火を灯そうとしている自分自身を、焦りに近い気持ちで叱咤しているに違いない父親の姿の、何と清々しくも熱い事だろうと、僕は久しぶりに小説で、目頭が熱くなってしまった。
ひとつにはそういう状況が身に沁みる年齢に、僕も届きはじめた証拠なのだろうけど、それにしても「人間は自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん」と言うフレーズは、創作だとしてもすばらしい台詞だ。
まったく参ったなぁ。
プライドと虚栄心、愛情と独占欲、優しさと放任、そんなボーダーのあやふやな言葉の狭間で溺れそうな僕の気持ちが、スッとまさに腑に落ちたというような感覚なのだ。
それさえあれば、他のことはとりあえず後回しにしても良いんじゃないかと思えるのだ。
黙々と盲目的に生きることの美しさに、最近になってようやく心惹かれるようになり始めた僕だけど、元々の器用貧乏な性格が災いして、あっちゃこっちゃに残ってしまう未練を、この言葉が上手に断ち切ってくれるような気がしているのだ。
庭の柘榴は熟れ、畦のコスモスにシジミが留まり、僕は八幡さんの秋祭りで太鼓を叩く。
大きな赤い夕日が三郎池に沈むのを見れたから、途中まで仕上げた旧型ストリームアーマー200個は廃棄しよう。
もう頭の中にイメージが出来上がってしまった新型が、どこからどう見ても良いに決まっているからだ。
そして明日、最後の稲刈りを済ませたら、空は今日よりももっと青の深みを増すだろう。
それは或いは空の高さのせいではないのかも知れない。
僕の秋は、これでいいのだ。
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