2005年12月22日
▼ 明けやらぬ港には朝靄が立ちこめ、源洋丸のエンジン音だけが威勢良く響いている。
僕達はいつものように、期待に胸膨らませながら道具を積み込んで、船頭真ちゃんと海の様々な話をする。

さあ、ぼちぼち行こうか!」
海は凪いでいるからヒラスズキは釣れそうもない。
今日はアオリイカ日よりだ。
アジの泳がせ釣りで狙うと、アオリイカのみならず、ヒラメ、ハタ類、青物といろんな魚種が釣れて楽しいのだ。
アオリイカがエサのアジに接近すると、水面下50mでアジが逃げまどう様子が竿先に伝わり、それは釣り人の心をもビビビッと激しく
揺さぶるのだ。

YASHICA FX-D Vario Sonner 28-70mm  RDP3 開放 AE

▼ 会社ではきっと、こむずかしい顔をして部下の原稿にチェックを入れるボスを演じ、シリアスなテーマの記事も、周到なリサーチと根気強い取材でものにしてゆく彼も、海の上で釣れたアオリイカを誇らしげに掲げて見せる姿は、まるで青っぱなを垂らした無邪気な子供のようだ。

もしくは見方を変えると、僕達釣り人はみな、成長しきれぬ幼さを心のどこかに抱えた子供のような人種なのだと、友人達の顔を思い浮かべてみれば、そう言えなくもないなとも思う。
自分でも分かっていながら、さりとて如何ともし難い人間的不完全さを、社会ではそうと悟られないよう必死に生きている姿が想像できたりする。

だけど海の上ではそんなことどうだっていいのだ。
僕らはただの無邪気な子供で、純粋で猛々しい生命で、海であり空なのだ。

あるのは広い海ばかり、見えるのは高い空ばかり。
釣りをしている友人達の横顔はいちおうに穏やかで、たとえ釣れずに黙していても、デッキに落ちた彼の影は、都会でのそれよりも、遙かに濃い輪郭に縁取られているだろう。

魚が釣れて「ニッ」と笑う顔は、皆たとえようもなく幸福で眩しくて、あかたも海や空のおおらかさが、僕達一人一人に授かったような気さえしてくるのだ。

YASHICA FX-D Vario Sonner RDP3 F8 AE

▼ 大きなアオリイカをたらふく釣って気持ちが大きくなった僕らは、そのアオリイカをエサにして、幻の魚「クエ」を狙ってみたのだ。
ここ日和佐でも、年に数匹20〜40kgもあるりっぱなクエが揚がっている。
源洋丸真ちゃんの兄貴の八千代丸のお客さんが、先々週2本も釣ったポイントを流してみたが反応はなかった。

少し移動したポイントで、遂に僕の竿にアタリが来た!
ゴツゴツときてから、念のため竿に充分重みが乗ったところで「どりゃぁ」とあわすとズシッときた。
心臓がドキドキして、「マジか?マジなんか?」と呟きながら、リールのドラグをフルロックしてある事をもう一度確かめてハンドルを強く巻いた。
真ちゃんがすかさず腰にギンバル付きのファイティングベルトを装着してくれたが、「ゴンゴンゴン」と首を振るところをみると、どうやら本命ではなく青物のようだ。
そう確信すると、とたんにドキドキは無くなって、100号(400ポンド)のリーダーだから切れるはずもないから一気にゴリゴリ巻き上げると、5kgくらいかと思っていた魚は、実は後の計量で9.8kgもあることが判明したブリブリのブリだったのだ。
としちゃんの竿にもほぼ同時にそれらしきアタリがあったのだが、エサが大きすぎたのかフッキングしなかった。

最後におまけまで釣れて、僕らは大満足で日が傾いた日和佐港に戻った。真ちゃん今日もありがとう。

さ、恒例の露天風呂にでも浸かってからぼちぼち帰ろう。
また来ようぜ。

YASHICA FX-D Vario Sonner RDP3 F8 AE +1補正

2005年11月30日
▼ 大阪の千早川マス釣り場での合同試投会は、参加人数こそたいしたことなかったけど、遠く埼玉から駆けつけてくれたK君をはじめ、コアな人々とたくさんの話ができてとっても有意義かつ楽しい会になりました。
スタッフの皆さん、お客さん、友人達、みなさんありがとう。

それにしても久しぶりに管理釣り場で釣りしたわけですけど、ムズイっすね。
僕には渓流よりずっと難しかったです。
管釣り独特のメソッドやセオリーが確立してて、はまると面白いのが良く理解できます。

今後は管釣りにも使えるようなモデルも作ってみようかななんて秘かにたくらんでおります。

CONTAX RX2 Vario Sonner 28-70mm  RDP3 F8 +1/3

▼ 用水路でアップアップと溺れていた、手のひらに乗るほど小さかった子猫が我が家に拾われて来て早3年、どことなく原始的なイリオモテヤマネコとかそんなふうな野性的な風貌のこの雌猫は、そのカムフラージュカラーを活かして雀を捕まえることと、帰宅した車の前に嬉しそうに突然飛び出して、家人に急ブレーキを踏ませることが得意技である。

避妊手術を受けているせいか、いわゆる『さかり』の様なものもほとんどなく、ということは、近所の雄猫を相手にせず、また、あまりかまわれもせず、時折訪れるご近所さん猫も、遠くで傍観しているか、威嚇して追っ払ってしまうかで、もっぱら人間と小動物が友なのである。

子供の頃から家には常に動物がいて、特に猫は、いなかった時期が思い出せないくらい、どこでどうやって調達と言うか仕入れというのか、連れて来ていたのか定かではないが(まぁ恐らく拾ってくるわけだろうけど)、時には10匹くらいいたこともあったな〜。

それぞれに個性的で、いなくなったり事故や病気で死んだりして悲しいこともあったけど、情緒的な部分で僕達はたくさん学んだり、癒されたりしてきたように思う。

坊主を学校へ送り出すと僕は、隣近所やお袋のいる母屋まで百メートル以上離れた田舎の一軒家に、文字通り一人きりで、鳥のさえずりや音楽やラジオの声を頼りに生きているのだ。

「アホか!」「戸は開けたら閉めなさい!」「腹へったんか?」「呼んでも遊んでやらんわ!」
話の相手は、孤独同士のこの猫なのだ。

CONTAX RX2 Planar85mm RDP3 F4 AE

▼ 家の横の池にたくさん飛来していた鴨が、11月15日の朝の狩猟解禁と共に、「ズドンズドン」と6羽撃たれてしまった。
そのうちの一羽を仕留めたのは僕の叔父で、子供の頃は飼っていたポインター(狩猟犬)とともに良く猟にくっついていったものだ。
だが今は、なんだか悲しい気持ちが勝ってしまって、誇らしげに鴨をぶら下げてこちらへ向かってくる叔父に、僕は静かに笑みを返しただけだった。

振り返ると、黄色い実をたわわにつけた橙の木が朝日に照らされていて、そういえば獲物の鴨やキジや山鳩は、必ずこの木の枝に逆さまに吊されて血を抜かれてそれから料理や剥製になったんだなぁと思い出した。

それからいつだったか、毎日のように木に登っていた僕が、ある日枝の上に立って小便をしていて足をすべらせて落ちて気を失ったのもこの木だったような気がする。

その頃は叔父と僕の心の間には、何の違いも隔たりもなかったと思うし、この橙の木と僕だって、同じ我が家の一員で遊び相手だったのだ。
年月が過ぎ、僕は鴨が撃ち殺されるのをいつの間にか嬉しいとは感じなくなり、橙の木は僕の兄弟では無くなって、物言わぬ記憶の象徴となった。

それでも僕は叔父や黄色い実が愛おしい。
その想いと、僅かだが埋めようもない現実との隔たりが、実と葉と空のコントラストの美しさとは裏腹に小さく重く心にしこる。
こんがりと焼かれた鴨肉にむさぼりついて、ジャリッと噛んだ散弾銃の鉛の弾のように。

CONTAX RX2 Tessar45mm RDP3 開放 AE+1/3

▼ いつも通る土手道から河原を見下ろすと、一面のススキが低い朝日に照らされてたいそう美しい。
写真に撮ろう撮ろうと思いつつ、土手道は狭い上に、朝は抜け道になっていて通勤車がひっきりなしに通るから、なかなか停車できぬまま季節ばかりが深まって、白く輝いていた穂も心なしか茶色味を帯びてきたようだ。

日曜日の朝、今なら写せると思って後部座席のカメラを見ると、180mmの望遠レンズがセットされていて、他にレンズは積んでいなかった。

ほんとは広角で撮りたかったけど、もうラストチャンスと諦めて、仕方なく一番明るく輝いている穂を狙って残り3枚のフィルムを、補正値+1/3、+2/3、+1の3回シャッターを押したのだ。

CONTAX RX2 Sonar180mm RDP3 F4 AE+2/3

2005年10月24日
▼ 春の仙台釣行で儚くも水没して散ったCONTAX 139quartzに替わる小型カメラを物色していたところ、茶色のトカゲ革張り風の愛らしいヤシカを見つけた。

レンズマウントはヤシカコンタックスマウントなので共通、中身のほとんどを139と共用としているようで、総金属ボディーは450gと軽量である。

最高速1/1000秒、絞り優先AEのみ、と、しょぼいスペックだが必要充分で、同時期に入手した赤いトカゲ革張りの137MDと共に、年式は30年落ちだが、優れたデザインは今でもカッチョイイ。
特に137MDのファインダーは見やすく、最新のRX2より優れている。
あ〜眺めているだけで楽しいなぁ〜。

CONTAX 137MD Vario Sonner 28-70mm  RDP3 F5.6

▼ 今年の秋シーズン初のヒラスズキが釣れた。
いつ見ても惚れぼれするほど美しい。
渓流釣りとヒラスズキ釣りのどちらに行くか?と問われたら困ってしまうな。

もちろん渓流が禁漁期間のこれからの時期は、なんとか時間を作って海へ出かけよう。

この日初めて実戦投入した新型のドラッグアーマーは、ほとんどのカラーが金箔か銀箔貼りだ。
それが釣果にどういう影響を及ぼすかは不明だが、見た目はとても美しい。

渓流もヒラも体力勝負なので、一年でも長く続けられるようジョギングを休まず続けようと、この魚体を見るたび思うのである。

CONTAX 137MD Vario Sonner 28-70mm RDP3 F4

▼ ジャンキー内藤とディレクターKの二人がキュウヨシにボートを出すと言うのを聞いて、どうしてもバス釣りがしたかった僕は、午後から高速に飛び乗って同乗させてもらった。

何度も計画はしたのだが、都合がつかずにかなわなかった久しぶりのキュウヨシは、僕には懐かしいいつもの川面に見えたのだが、J内藤によると、僕が知っているほんの少し前のあの頃の川とは、ずいぶん様子が変わっているそうだ。
とにかく釣れないらしい…

だけどそもそも岸を蹴ってボートを離岸させる瞬間、僕はディズニーランドのアトラクションに乗り込む心持ちなのである。
つまり、釣りをしに竿とリールとルアーを携えてここへやって来ながら、はなから釣果を期待してはいない自分に気付く。

振り返れば、釣りこそが我が天職と言わんばかりの、あまりにも絵になる二人がそこにいる。
この状態を楽しむために、僕はルアーを投げ続けるのだ。

僕は写真を撮るのは好きだけど、撮られるのは嫌いだ。
それは自分が絵にならないことが自覚できるからである。
心の定まらない様子が、フィルムに写ってしまうからである。

いつか僕も絵になる男になれるだろうか?
投げ続けてさえいれば、いつか魚は釣れるものだ。
釣りを続けていさえすれば、写真を撮り続けてさえいれば、僕もいつか彼らのような風格と自信というものを、この手にすることが出来るのだろうか…

CONTAX 137MD Distagon 25mm RDP3 F4


2005年10月17日
▼ 9月末の残暑厳しい午後に訪れた京都市立美術館の『ルーブル美術館展』は、まさに「驚嘆」の二文字こそがふさわしい、稀なる体験だった。

ミレー、ドラクロワ、ジェリコー、アングル、フランドン、ドラローシュ
いずれも美術書やポスター等で何度も見た記憶があるのだが、筆のタッチや絵の具の盛り上がりまで見て取れる本物の名作のみが持つ凶暴なまでのオーラは、見るものの毛穴を収縮させ、矮小な既成概念を奪い去り、思考さえも停止させる程の力を持つことを、僕は身をもって体験したのだ。

薄暗い回廊に展示された絵画達の前で観客は、恐らくその絵を描いた画家の横顔と、その時の心象を、いやがおうでも想像したに違いないのだ。

画家の強烈な情念は時間を超えて僕らに何かを語り、絵を見ると言うよりそれは、画家に出会うと表現した方が正確だとさえ思えるのだ。

 同じ日の午前中、25年ぶりくらいに伏見の寺田屋を訪れた時も、似たような感慨を覚えたのだ。
そこで起こった様々な史実の当時そのままの佇まいに、坂本龍馬やお登勢やお龍の息づかいが、まるで耳元で聞こえる様だった。

僕らが何げなく生きているこの世には、批評や感想など立ち入る隙すらない、人の魂を捉え釘付けにしてしまう圧倒的な芸術や、驚くべき歴史的事実があると言うことを、あらためて心に刻んだ貴重な一日だった。

CONTAX RX2 Vario Sonner 28-70mm RVP100

▼安息香酸、このベンゼン環を持つ芳香族炭化水素の一種は、実は人体に有害であるけれど、その名はなぜか癒し系である。

秋、うちの二階の高さほどもある古い大きなキンモクセイの香りが家の中にあふれ始めると、僕はこの化合物の名を思い出すのだ。

子供の頃は、山で集めた松葉や小枝で焚き火をおこし、煙に巻かれながらサツマイモや栗を焼く時の匂いが一番好きだと言っていた。
少し色気づく年頃になると、女の子から漂って来るフェロモン系の香りにノックアウトされてしまうようになった。
今でも好きだった女の子を抱きしめた時のトリートメントの匂いは鮮明に思い出せる。

早くに亡くなったお父さんにおんぶしてもらった時のタバコの匂いが懐かしいという同級生の女の子もいた。

ばあさんの糠床の匂い。
三郎池の淡水独特の少しなまぐさい水の匂い。
落ち葉や干し草の匂い。

やはりいつまでも心安らぐ香りというのは、幼い頃の懐かしい想い出や経験に由来するものがきっと多いのだろう。

だからなのだろう、なによりも南の座敷に重く滞留する甘いキンモクセイの香りこそが、この家で育った僕にとって一番の安息の香りなのだ。

CONTAX 137MD Planar85mm 、vario zonner 28-70mm RDP3

▼ 始めたばかりの事業を軌道に乗せることに没頭している還暦間近の父が、遅くに授かった幼い息子との二人きりの時間を思いがけなく得て、父は息子に自転車を買い与え、自分は借りてきた自転車でサイクリングに連れ出した。
そして立山連峰を遠くに望む、真っ直ぐな土手道を並んで走りながら言うのだ。
「今はまだわからんでええ、暗記するんじゃあ」
「ええかぁ、約束は守らなにゃあいけん」
「弱いものをいじめちゃあいけん」
「女と喧嘩しちゃあいけん」
「人間は自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん」
「言うてみぃ…」
幼い息子は自転車を漕ぎながら一生懸命それを復唱する。

夏に読んだ作者の実体験をモチーフにして書かれたシリーズ物の長編小説の一節が、僕の心に今もくさびのように打ち込まれたままだ。
子への接し方もさることながら、その一つ一つの単純化された言葉が、まるで自分自身が息子になって諭されているように、まっすぐに心に響く。

身の回りにはあまりに過剰な情報と、たくさんの考え方がありすぎて、僕などはしょっちゅうモノの良し悪しはおろか、ともすれば善悪すら定かではなくなってしまうのだ。


だけどこの主人公の、老い先の短さを自覚して息子の中に何かを残そうとする切なる願いと、 幼い我が子に言い聞かせながら実は、歩んできた道を少しの後悔と共に振り返りながら、残りわずかな生に最後の火を灯そうとしている自分自身を、焦りに近い気持ちで叱咤しているに違いない父親の姿の、何と清々しくも熱い事だろうと、僕は久しぶりに小説で、目頭が熱くなってしまった。

ひとつにはそういう状況が身に沁みる年齢に、僕も届きはじめた証拠なのだろうけど、それにしても「人間は自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん」と言うフレーズは、創作だとしてもすばらしい台詞だ。
まったく参ったなぁ。

プライドと虚栄心、愛情と独占欲、優しさと放任、そんなボーダーのあやふやな言葉の狭間で溺れそうな僕の気持ちが、スッとまさに腑に落ちたというような感覚なのだ。
それさえあれば、他のことはとりあえず後回しにしても良いんじゃないかと思えるのだ。

黙々と盲目的に生きることの美しさに、最近になってようやく心惹かれるようになり始めた僕だけど、元々の器用貧乏な性格が災いして、あっちゃこっちゃに残ってしまう未練を、この言葉が上手に断ち切ってくれるような気がしているのだ。

庭の柘榴は熟れ、畦のコスモスにシジミが留まり、僕は八幡さんの秋祭りで太鼓を叩く。
大きな赤い夕日が三郎池に沈むのを見れたから、途中まで仕上げた旧型ストリームアーマー200個は廃棄しよう。
もう頭の中にイメージが出来上がってしまった新型が、どこからどう見ても良いに決まっているからだ。
そして明日、最後の稲刈りを済ませたら、空は今日よりももっと青の深みを増すだろう。
それは或いは空の高さのせいではないのかも知れない。
僕の秋は、これでいいのだ。

CONTAX 137MD Vario Sonner 28-70mm RDP3


2005年8月17日
▼ ここのところ京都へ行く機会が多い。
月に一度はなんやかやと用事があって行くのだけど、もともと司馬遼太郎の歴史小説なんかを通してこの街にあこがれを抱いていたし、その気持ちが高じて、若い頃しばらく住んでいたこともあり、忙しいさなかでも、この小さな旅行が苦にならない。

今でもやっぱりこの街が好きなのだ。
とてつもなく古いけれど究極まで洗練された様式美と、猥雑な若さとが混沌としたこの街が、僕にはぴったり来るのである。

しかし本心を言えば、息子にかかわる雑用で京都に出かけ、しばし感慨に浸っているよりは、初期型R100GS(勝手にリンク)を飛ばし、パワースライドでコーナーを立ち上がり、パニアケースからおもむろにパックロッドとウエーダーを取り出し、無邪気なアマゴと戯れ、ベストのポケットからチタンブラックのコンタックスT3なぞ取り出し(T2では最短撮影距離が60cmまでしか寄れなくて魚のアップが撮れないのだ!)例によってコッヘルでUCCのカップコーヒーを煎れて、「ンメェ〜!」と叫ぶのが、ささやかなる理想の我が姿だったりするのだ。

来年こそは実現したいと目論んでおりまする。
どなたか「バイクでアマゴ」に付き合いませんか?

CONTAX RX2 Planar85mm RVP100 F4 AE+1/3

▼ 今年の夏は暑くて暑くて、友人から漏れ伝わる渓流情報もさっぱりだし、ジャンキー内藤と何度も計画しては流れてばかりいるキュウヨシのバス釣りも、毎日冷房暮らしの身には灼熱の太陽が恐ろしくて、いつかの電話で約束したきり話題に上ることもなくなってしまった。

「ミノーはまだですか?」と時々ショップの店長さんから電話がある。
『すんまへん』ばかりでほんとにすみません。
某ショップオーナーさんの話によると、今年は小雨でサツキマスが全く釣れなかったらしい。
そういえば四国でも、5月のハイシーズンでさえ話題にすらならなかった。いつもなら、どこで何センチが上がったなどと、必ず聞こえてくるはずなのに…

今夜は台風である。
九州や四国の太平洋岸では観測史上最高の記録的な降水量で、災害に遭われた方も多くいる。

いつかこうなることはほんとはみんな分かっていたんだ。
僕らが生きていることで、地球のリズムが狂ってしまうことは、僕らの年代ですら小学校で習った。

だからと言って、僕の魂に自らの存在を否定する力が備わっているはずもなく、わずかな節約と少しの謙虚さを心得として生きるしかすべがないのだ。

来年はまた、サツキマスが釣れることを願いつつ、灼熱の都会の路傍で青々と葉を広げる名も知らぬ植物に、僕はレンズを向けるのだ。

Vario Sonner 28-70mm RVP100 AE F5.6

▼ 『何が釣れるんですか?』と尋ねると、若い父親は穏やかで優しい笑顔をこちらへ向けて「アジですね」と教えてくれる。

となりの砂浜で泳ぎ疲れたのか、子供達は父親の両脇に座って、サビキにアジが食いついたり釣り落としたりするのを、陽気で優しい父親と共に一喜一憂している。

僕は時々、爺さんが3歳の僕に教えてくれたように、もっともっと子供達とエサ釣りをすればよかったと後悔するのだ。
自分ばかりが楽しまないで、家族とこうして過ごす時間を大切にすべきだったと後悔するのだ。
そうさ、いつか息子と日和佐へアオリイカの泳がせ釣りに出かけよう。

CONTAX RX2 Tessar45mm RVP100 F8 AE

▼ 19歳の夏、僕は某公営屋外プールで監視員のアルバイトをしていた。
水着のおねーさんをよこしまな気持ちで日がな一日眺めている、素晴らしいバイトだったな〜(たまには救助もしますけど…)

学生ばかり30人もいるバイトだったから、仕事が終わると毎夜遊び呆けていた。
ある夜、酔い醒ましだ〜!と、勝手知ったるプールのフェンスを乗り越えて、何人かで服のまま飛び込んで泳いだのだ。

潜ってみると思いのほか明るい、その夜は満月だった。
水中から見上げると、ゆらゆら揺れる月の光が水中にキラキラと反射して、まるで昼間のように明るい。
さっきまで聞こえていた仲間達の声や車の音は聞こえず、ラジオのホワイトノイズのような水中独特の音だけが耳を圧迫する。

なのに僕の頭の中で不意に音楽が鳴ったのだ。
それはベートーベンの「月光」だった。
記憶とイメージと酔いが交錯して、一瞬たしかにピアノが響いたのだ。

聴力を失いかけたベートーベンが心で奏でた音楽が、水中で音を失った僕の耳の奥に突然去来しのだ。
その瞬間、光景は音楽となり、音楽は祈りとなった気がしたが、息が苦しくて水面に出たとたん、それは友人の声にかき消されてしまった。

こないだの夜、見事な月を見ながら、あの不思議な経験を思い出し、僕はホロビツの演奏する「月光」をいつまでもリピートしたのだった。

CONTAX RX2 Tessar45mm RVP100 F5.6 AE +2

TU'S Talk 2005.5/1〜2005.8/31

TU'S Talk 2005.4/1〜2005.4/30

TU'S Talk 2005.1/1〜2005.3/31

TU'S Talk 2004.4/1〜2004.6/31

TU'S Talk 2004.1/1〜2004.3/31

TU'S Talk 〜2003.12/31

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