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OLYMPUS OM2n ZUIKO 50mm macro F3.5 RVP AE F5.6
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| ▼ 「おろ!なかなか感じのええ川やないですか!」
彼の膝とつま先は、少し外を向いている。
それは茶畑の土手から左手のその水面を間近に見たとたん、さらにその角度を増したようにも思える。
前へ廻ってこのおっさんの顔を見れば、きっと瞳も両外側へ寄り、鼻腔は最大限広がっているはずなのである。
やる気無く呆けているわけではない。
寄る年波にあらがえず、肉体のしまりが無くなってしまったわけでもない。
彼の名誉のために言っておくと、心の中ではむしろ全く逆の反応が起こっているのである。
魂は血なまぐさい本能にギラギラと輝き、肉体は押さえきれない躍動に震えているのである。
だが、およそ大阪の中高年という人種は、心地よさや興奮を覚えたとたん、にわかにこのような変化を催すのである。
きざなせりふで修飾するのでもなく、ニヒルに身構えるでもなく、それは恐らく開放と受容を同時に率直に表現してしまう彼らにおける、ひとつの決まり事なのだ。
その心の変化が、がに股とひんがら目と広げた両腕に無意識に現れるのである。
そんなおっさん達にはまったく似つかわしくない可憐な花が、川への斜面の日だまりで笑っている午後だった。
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OLYMPUS OM2n ZUIKO 50mm macro F3.5 RVP AE 開放
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▼「昨日まで穴蔵で必死こいて仕事してましたから、今週は仕事入れんことにしてまんねん」
最新の機材が並ぶスタジオも、「穴蔵」だと言うその表現の仕方に、6畳ほどの狭い空間で年がら年じゅうルアーを削っている僕はひどく共感を覚えるのである。
そこにはスタッフもたくさんいるだろうし、絶え間ない音や映像があふれているだろう。
僕の所へも訪問者もあれば、ターンテーブルだって一日中回り続けているから退屈でも暇をもてあましているわけでもないのだが、たしかにそこは孤独な穴蔵なのである。
仕事をしながら陽春に輝く渓流を想像すると、それはもうたまらない気持ちになる。
それは過去の楽しかった記憶と重なり、今現在の痛みや未来への焦燥ともつながって、僕の心をギリギリと突き回すのだ。
そう、出かけるより他に、車を山へ走らせるほかに、そこから逃れるすべなどないのだ。
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OLYMPUS OM2n ZUIKO 50mm macro F3.5 RVP AE F8
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▼暖かさとは裏腹に、アマゴの追いは良くない。
しばらく釣り上がった瀬で初めてのアタックがあったが、魚の動作は未だ緩慢でミノーにかぶりつくには至らなかった。
だけど、ウエーダーを通してひんやりとした水温を感じるとき、ザバザバと水をかき分けながら脛に水の抵抗を感じるとき、僕はまるで母胎回帰したかのような安堵を覚えるのだ。
あたかもずっとこの状況が連続していたのではないかと錯覚するほどに、水と空気に僕は水性インクのように溶けてゆくのを感じるのである。
水の中から仰向けに、水面を透して流れにゆらめく青空を愛おしむような、きっとそのとき僕は人ではなく、確かに自然と同化している感覚に襲われるのである。
穴蔵から抜け出てきたもう一人の人間も、同じ感覚に襲われているのだろうか?
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OLYMPUS OM2n ZUIKO 50mm macro F3.5 RVP AE F5.6
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▼自慢のバンブーロッドにあわせたのは昨日3ポンドラインを巻いた15年物のアブガルシアのC3である。
やはり昨日針を付けたばかりのTT45TFの05モデルは思った通りの性能を発揮してくれている。
最近僕がミノーや道具に求めている性能とは、絶対的な値や先行するイメージではない。
それはもっとエモーショナルな性能、つまり使う人の拍動を強くドーピングするような、人間と水を逆らわずシンクロさせるような、愛と悲しみをブレンドして琥珀色の酒を醸すような、ぴったりと容器いっぱいに満たされたミルクの表面張力のように過不足のない幸福感なのである。
この日、TARGET521とC3、3ポンドラインとTT45TFは完璧にシンクロして、ただの一度も過敏だったり不足感といったような違和感を僕に感じさせることはなく、僕は幸せな幸せな一日を過ごすことが出来たのだった。
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▼「昔、こんな女に惚れてましてねぇ…」
遠く過ぎ去った日々をそれぞれに語り、ふとその面影に浸りながら、失ったものの大きさと、引き替えに覚えた達観とを「タァ!」とロッドに乗せてキャストすると、糸はぶざまに絡みつく。
「かっこわるぅ〜!」はキャスティングに向けられたわけじゃない。
いい年をして、まだまだそんな自分を叱咤したのだ。
さっきまで完璧にシンクロしていたリズムは千々に乱れ、乱れては自分の狼狽に気付き、一息大きく吸ってはまた落ち着きを取り戻すのだ。
寄る辺なき心よ
さまよえる魂よ
叫べ!
そして生きろ!
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OLYMPUS OM2n ZUIKO 50mm macro F3.5 RVP AE F5.6
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▼慈しむかのように、大切なものをそっと抱き寄せるように、穏やかな笑みで大阪のおっさんはアマゴを引き寄せた。
ファイトがどうのというサイズではないが、やりとりを楽しんでいる様子がじんわりと伝わってくる。
この瞬間は自分が釣るよりほっこりと嬉しいもんだ。
すでに膝は笑い、足元がおぼつかなくなりつつも、この邂逅の為にひたすら川を遡るのだ。
きっと彼はアマゴをリリースしたあとハイライトを旨そうにくゆらすのだ。
そして満足そうに遠い目をしながら、今起こった出来事を心の中で反芻し、味わい尽くすとまた、次の出会いを求めて足を引きずりながら上流へ歩を進めるのである。
魚達はみな、水中で上流を向いて定位している。
呼吸とか摂餌とか、ちゃんとした理由はあるのだろうけど、時々その事が不思議に感じられる。
人も川に立つと、なぜだか上流へ向いて歩こうとする。
決して下流へ下ろうとはしないのは、呼吸のためでもエサの為でもないはずなのに、きっと釣り竿を持っていなかったとしても、それでもやっぱり僕は上流へと昇ってゆくだろう。
地球上に生を受けた命の、等しく共通の定めとして、僕は上流へ向かうのではないかと思ったりするのである。
このあらかじめ備わった能力が、過去を忘れ、未来を希求し、もしかしたら破滅が待っているとしても、決して振り返らずひたすらに前を向いて、生産し消費し、新しいものを作るために古い物を壊し、そうやって生きて行く人という生き物を形作っているのだろうか?
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▼「見ててわかったんですけどね。上原さんとはタッパもコンパスもちゃいますねん。それがどーしたっちゅう話なんですけどね」と遅れ気味だった彼が訴えるように言った。
足が丈夫な僕が先行気味でポツポツアマゴを追加してゆくのに、さっきからいい場所にルアーを通しても当たらない彼に、僕はちょっと悪いことをしたなと思った。
しかし、それよりも彼は、思うにまかせない己の肉体への歯がゆさを、誰に言うともなしに、きっと日が陰りつつある山間の空に向かって訴えたのであろう。
40歳を過ぎるととたんに、いつまで渓流釣りに親しめるのだろうなんて言う問いかけが現実味を持って心に響くようになる。
あと10年、なんとか僕を川へ通わせておくれ。
きっとその間に還る場所を見つけるから…
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OLYMPUS OM2n ZUIKO 50mm macro F3.5 RVP AE 開放
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▼去年も僕は同じ光景を見たんだ。
まるで魔法のように彼は、最後のポイントの最後のキャストで、今日一番の大物を仕留めたのである。
実は今日は冗談半分だった。
まさか本当に同じことが起こるとは思わずに「またマジック見せてよ」なんて軽口を叩いていた。
奇跡のようにそれはおこり、予定されていた結末であるかのように見事なラストシーンで今日の釣りは終わった。
まさに完璧だった。
文句の付けようがなかった。
「また行こう」
理想的なおわり方が、素直に心からまた行こうと僕に言わせていた。
次回は東北の渓らしい…
付き合えるかな?
がんばろう!
ふと気付いて見上げると、彼の目は両外側に寄り、膝とつま先と両腕は、しあわせそうに見事に外を向いていた。
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