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漂泊
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OLYMPUS OM1 50/3.5macro E200VS 開放
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▼熊の足跡が、川と田んぼを隔てる残照の農道に、くっきりと残っている。
民家までほんの数百メートルという距離だろう。
そのことを恐ろしいとは思わないが、人間の手と同じサイズの大きさの手足を持つ生き物が、ごく普通に徘徊しているというリアリティーが、遠くへ来たんだという実感をふつふつと際立たせる。
9月の最後の連休の釣行は、いかに魚影の濃い仙台といえども、そうそう釣れるものではない。
今日も貧果にしょぼくれて、とぼとぼと農道へ這い上がったのだが、ひんやりとしはじめた空気をいっぱいに吸い込めば、右手のオレンジに暮れゆく夕景と左手の黄色く輝く稲穂と足下の熊の足跡が、今日も良い一日だったなぁと心をなみなみと満たしてくれる。
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OLYMPUS OM1 ZUIKO 28/2.8(上) 50/3.5macro(下) E100VS
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▼今僕は、この4日間を頭から順を追って思い出そうとしているのだけど、何故だか記憶の中の日付や曜日の感覚が全く欠落してしまっていて、残っているのは山、川、魚、友、心地よい疲労感、代え難い幸福感、そういった断片のみで構成されていて、あの林道から見上げた空はこんな色だったとか、あの時、友はこんな表情をしていたという事ならいくらでも思い出せるのに、あれは何日目の何曜日の何時頃の事だったのかは、どうしても思い出せないのだ。
間違いなくそれは、僕らが時計やカレンダーとは全く関係のない時間を過ごしていたからに他ならないと思うのだ。 |
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OLYMPUS OM1 ZUIKO135/3.5 & 50/3.5macro E100VS
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| ▼今回は終始天候に恵まれていて、かえってそれが魚達からプレッシャーを拭い去ることができぬネガティブでもあったのだけど、光がたっぷりと降り注いだおかげで、瞼の奥の映像は、どれも鮮やかな色と美しい光の陰影に彩られていて、しばらくは酒の肴にには困らぬだろう(すんまへん嘘をつきました、酒は飲みません)
「グオォ〜、グルルルァ〜〜!」と岩陰に隠れ、聞いたこともないくせに熊の声を大声で真似て、下流側の2人を脅かそうとするK兄。
岩の向こうでは、「ハッ!」と首と耳をそばだてて一瞬マジビビリのU君を、「あ〜、今のはKさんでしょ」と冷静になだめるS君。
暗闇に包まれる寸前のイブニングライズの堰堤下から、「今ボコボコに当たりました!」と興奮気味に上がってきた大ちゃん。
僕らが来仙すると聞くや、待ち合わせ場所の駐車場に先回りして待っていてくれたマハさん。
何から何まで笑顔で世話してくれて、旨いものをたらふく食わせてくれるじねんぼう親方。
ちょっとやそっとではまぶたの裏から剥がれそうにもない、脳内にジュッと焼き付けられたかのような鮮明な記憶だ。
過去に何度も書いたので、その夜、僕らが焚き火の周りで、いかに充実した時間を過ごしたかは秘密にしておこう。
こういう場合、大抵言葉や文字は無力であるから。
ただじねんぼう親方と大ちゃんには、いつもながら最大限の謝辞を述べておこう。
また今回も、ありがとうございました!
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OLYMPUS OM1 ZUIKO 50/3.5macro E100VS
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▼定義山(じょうぎさん)という古刹の参道に、「三角あぶらあげ」なる名物がある。
どうということはない、その名の通りの三角形のあぶらあげの揚げ立てを、醤油と唐辛子で食すのだが、讃岐うどんと同じく、時間が経てば失われてしまう、その場所で、その瞬間にしか味わうことの出来ないという種類の滋味は、やはり例外なく旨い。
そのすぐとなりの土産物屋然とした佇まいの商店から、じねんぼう親方が皆に買ってきてくれたのは、味噌をまぶして焼いたおにぎりである。
醤油を塗って香ばしく焼いたおむすびなら、関西のどこででも味わうことが出来るが、味噌の文化圏の東北ならではの食い方だなぁと、恐る恐る食らいついた大きなおむすびは、見た目の予想に反してちょうどよい味噌の塩分と香りが、うどん星人の僕にはとても新鮮なおいしさだった。
そこから山へ入るとすぐに、照葉樹に囲まれた支流へ到達する。
木漏れ日がちらちらと水面を照らすその渓には、恐ろしく綺麗なヤマメとイワナが棲むという。
竿抜けを期待して入ったこの谷にも、やはりおびただしい足跡が残されていて、そればかりか、他に人など通るはずもないこの林道で、間違いなく釣り師であろう車と2度もすれ違った。
幸いなことに、僕達が入渓した地点に残された足跡は、古くはないが、どうやら今日のものではないらしい。
熊よけの鈴をチャリチャリ鳴らしながら、梢の間から真っ青な空が見え隠れする美しい渓を僕らは釣った。
そうたくさんは釣れなかったが、完璧なプロポーションにうっすらと秋色(婚姻色)をまとった、絵のように美しいヤマメと、居付きのイワナの特徴を良く現しているオレンジ色のお腹の、かわいらしいイワナが数匹遊んでくれた。 |
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OLYMPUS OM1 ZUIKO 50/3.5macro E100VS 開放 1/60秒
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▼釣りカメラにはオリンパスのOMシリーズが最高だと、釣りの時間が長いほど、毎回実感を新たにするのだ。
圧倒的にコンパクトな真鍮ボディーに優秀なマクロレンズ。
世界のどこを探しても、フィルター径(すなはち対物レンズの直径)わずか49mmでこれだけ優秀な写りをするレンズ群を揃えているメーカーは、かつてのオリンパスZUIKOレンズしか存在しない。
そしてなによりも僕がOMシリーズを愛する一番の理由は、これぞJapan Designの神髄と僕には思える、シンプル且つ優美な、凛としたデザインが素晴らしくかっこいいからなのだ。
OM1にズイコー50/3.5マクロの組み合わせは、トータルで700g少々。
片や大好きなコンタックスは、写りは素晴らしいが、同等の性能のボディー、レンズを選ぶと、体積、重量とも約2倍のカサを覚悟しなければならない。
この差は一度体験すると、もはや絶対的とも言える違いで、釣りそのものの軽快感を大いに左右するだけのファクターとなりうる。
ただ問題は、オリンパスが既にフィルムカメラ事業から撤退してしまい、OMシステムは中古でしか買えぬうえ、メーカーメンテナンスも受けられず、壊れてしまえば部品もないからそれでおしまいなのだ。
だけどそんな不利や不便は覚悟の上で、高校2年生の夏休み、必死でバイトして標準レンズ付きで10万円の黒のOM2を新品で買って以来、使える個体が手元にあるうちは、これからも僕の渓流カメラはOMシリーズなのだ。
オリンパスにはデジタル一眼レフカメラの分野でも、従来のOMファンを納得させる製品をリリースしてくれることを切望するばかりだ。 |
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OLYMPUS OM1 ZUIKO 50/3.5macro E100VS 開放 1/30(上)1/125(下)
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▼僕の釣りはいつもいつも、最後に劇的な終わり方をするものだから、今度は何が起こるのだろうと、最近少し期待するようになってしまった。
何も起こらないと少しつまらないだろうけど、それはそれで釣りや旅行の価値が減るわけでもないので一向かまわないのだが、なぜだか何かが後押ししてくれているような感覚があって、わずかながら心待ちにしている自分がいる。
それは、背中に吊した祐二の遺品のランディングネットのせいなのか、タケちゃんの愛したトーナメントZ1500Cの加護なのか(今回に関してはステラだったけど)、もっと大きな何かなのかは不明だが、とにかく展開がドラマチックに過ぎるのだ。
9月の頭に午後から2時間だけ釣った愛媛の渓で、やはり僕は最後の大淵で、何年ぶりかで雄の尺アマゴを釣った。
バカみたいに渓流へ通っていた頃は、年に20匹以上の尺アマゴを釣っていたことを思えば、なんという貧果なのだと思うけど、釣りの時間との相対比率でいうと、こんなもんじゃないかなと納得せざるを得ないほど、釣行自体が少なくなってしまっている。
そんな中、久しぶりに釣れたりっぱなアマゴは、まるで人間と同等の意思があるのではないかと、しばし無言でその瞳を見つめてしまったほど、言葉では表し難い特別な感慨を僕に味合わせてくれた。
あと200mほど釣り上がり、上流に見えている橋までたどり着けば、長かった仙台釣行も終わりとなるはずの瀬で、今朝から一緒に釣っているS君に25cmオーバーの立派なヤマメがヒットした。
僕はその一部始終を目にすることが出来て、思わずS君より先に「来たぁ〜!」と声をあげてしまった。
S君は僕のHPの写真を見てOM1と50/3.5マクロを買ってしまったほど、釣りと写真をこよなく愛しているから、ここはたっぷりと撮影してもらわねばなるまい。(Jelly Fish Cafe)
無心にシャッターを切るS君の網膜に、OM1の0.92倍の光学ファインダーを通して、今どんな映像が映っているのか、まるで光ファイバーで繋がっているかのように、僕にはありありと想像できた。
僕はその間にもう少し上流の、S君がやり残した早い瀬の流芯を攻めた。
最初のキャストで20cmくらいのヤマメがやる気満々で追ってきたが針掛かりしなかったので、そいつをなんとか釣り上げようと、帰っていった流れの方向へストリームアーマー50RFを投げ、少し丁寧に流芯をクロスさせた。
ドスッと重量感たっぷりにヒットしたのは、さっきのヤマメじゃなくかなりの大物だ。
水中でギラギラとローリングを繰り返す体躯の反射光は、間違いなく今回の最大魚だ。
「やっぱり最後に来た!」
流芯の水圧と魚の抵抗が相まって相当グルグルと引いたが、ターゲット543のバットエンドのパワーは遙かに余裕があって、難なく寄せて落ち着いてネットで掬うことが出来た。
岸に誘導したネットの中の雄ヤマメと向き合ったとき、またも言葉にならないものを、僕はヤマメに話しかけていた。
「おまえ、たいした奴やなぁ…ありがとな」
おそらくそういった感情を、僕はヤマメに言いたかったのだと思うが、それを言葉にすると嘘になるような気がして、こないだのアマゴの時と同様、ただただ見つめる他はなかったのだ。
あとで大ちゃんが計ると31cmだった。 |
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CONTAX Vario Sonnar 35-70/3.5-4.5 Kodak E100VS 開放
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▼人には安住の場所を常に欲するタイプと、漂泊の中にこそ心の安定を見いだせる者がいる。
土地や仕事に縛られて、一見安定型に映る人間の中にも、いつもどこか遠くに意識がある人もいれば、しょっちゅう飛び回っていても、実はひとところに落ち着くことを望んでいる人もいる。
あるいはそれは表裏一体で、縛られると開放を望み、所在が安定しなければ終の棲家を求めたくなるものなのかも知れないが、こと僕の周りにいる釣り人達に限って言えば、皆、明らかにボヘミアンの匂いを感じる。
とりあえず今は所定の場所に落ち着いてはいるが、心はいつもまだ見ぬ山や海や人に向かっている。
そこで起こる想定外の出来事を、わくわくしながら心待ちにしているのである。
たとえそれが災難であったとしても、さすらいを心に秘めた人達は、それさえも笑い話のタネにしてやろうと手ぐすねひいて待っているのだ。
今回大きなヤマメを釣ることが出来たことは、この上ない喜びだが、さりとて、もしあのヤマメが釣れなかったとしても、割り引かれる幸福は5%未満だろう。
すなはち、僕も含めて彼ら放浪の釣り人達にとって、釣りはもはや目的にはあらず、生きるための欠くべからざる手段なのである。
だから、シーズン最後の連休で、なかなか釣果に恵まれなくとも、天候や諸々の条件に翻弄されようとも、そこに山と川と友がある限り、僕は何度でも旅を続けるのだ。
さまよえる魂であるからこそ、一瞬の邂逅が眩しい光彩を放つのである。
また来年、再会しようではないか。 |
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