▼ かつて真剣に格闘家を目指したという屈強な体躯の親方も、以前それらしきものを目撃して以来、幽霊にはめっぽう弱いと真顔で言うから、僕は可笑しくなってしまった。
なのに焚き火が好きで、山の稜線に囲まれた狭い空が好きだと言うのだから…
「僕は夜、メバル釣りに行く時、お墓の横を通っても平気っすよ」
「だって、死んだ肉親や友人達に、幽霊でもええから出て来い!言うても出てこんもん、他人なんか出るわけないと思てるんです」
『わたすも昔はそうだったんすけどねぇ〜、見ちゃったからねぇ〜』
そう言われると、僕の屁理屈なんか通用しない神秘があるのかもしれないと少しは思ったけど、それでも僕はちっとも怖くはならなかった。
得体の知れない恐怖なんかより、目の前の焚き火の心地良さが、はるかに強く、暖かく、僕達を包んでいたのだから。
大ちゃんがTう〜、たまんねぇ〜!Uとつぶやく。
『うんめぇ〜』と親方も笑う。
「なんだこりゃぁ〜!」と僕はそれ以上の言葉を継ぐことができない。
皆で集めた薪が燃えるその横で、僕達がビールを飲みながら(僕は下戸だけど、こんな時だけ少し飲むのだ)くっちゃべっているうちに、ヤマメとイワナからは余分な水分と脂が滴り落ちて、徐々に飴色に燻されてゆくのだ。
こぼれた脂が、頭を唐揚げのように焦がし、皮はパリッと焼かれてゆく。
何度も言うようだが、親方が河原で焼く渓魚は、どんな形容詞も追いつかないくらいとんでもなく旨い。
1時間以上かけて桜の枯れ枝で焼くのが秘訣だといえばそれまでかもしれないが、僕が思うに、秘密はそんなところにあるのではなくて、1時間も楽しく待っていられるかどうかというところが問題だと思うのだ。
心地よい時間が流れ、気が付けばヤマメは焼き上がっている。
良き友人こそが、旨いヤマメの塩焼きには必須条件なのだ。
「今度はランタンが一丁いりますねぇ」
僕と大ちゃんが交代でニギニギする手動発電の懐中電灯の頼りない明かりの下で、イワナの刺身を捌きながら『そっすねぇ』と親方は笑った。